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☆契り橋 (あきない世傳 金と銀 )特別巻上・高田郁 ・角川春樹事務所 ・時代小説文庫(ハルキ文庫)の書き下ろし作品 ・2023年8月28日第1刷発行 商い一筋、ひたむきに懸命に生きてきたひとびとの、切なくも幸せに至る物語。 1〜12篇に登場した懐かしい登場人物たちのその後を描いた特別篇。 第1話 風を抱く 江戸に着いて半月、新六と名乗る惣次は、市中をつぶさに見て回り、伏見町にある銭両替商、井筒屋隣の慎ましやかな表店に入居を決めた。「五鈴屋」も「惣次」の名も捨て、何の伝手もない江戸へ出て初めて築いた根城だった。 挨拶ついでに手持ちの銀を銭に替えようと訪ねた井筒屋の主は、言葉の訛りと惣次が持つ紅鬱金の紙入れを見て凡その身分を見抜いたようだ。 何とかして年内に商いの目処を立てておきたい。銅巻きには500匁の包銀が6つ、しめて銀3貫。五鈴屋を飛び出す際に持ち出したそれは、羽二重の生産地、波村に融通するはずのものだった。 その波村の仁左衛門たちに「店主の器にあらず」と断罪され、奉公人の前で「女房の幸の方が店主に相応しい」とまで言い放たれた。あの屈辱は終生忘れない。 幸は惣次が惚れて惚れて、惚れ抜いた女房だったが、日に日に開花する商才を見せつけられるうち、愛おしさが疎ましさへと変わっていき、脅威になってしまったのだった。 だが、今の惣次には暗い情念はなく、むしろ雁字搦めに縛られてきた習いや柵から解き放たれて、思う存分、己の商才を試せることが楽しみでならない。大坂を捨てる前に自分も五鈴屋も立ち行くよう打つべき手は打っておいた。 閏12月、伏見町の住まいへ向かうところで隣家が何やら騒がしい。騒いでいる客は、どうやら井筒屋から悪貨を摑まされたから交換しろと難癖をつけているらしい。相手の目的を読んだ上での有無を言わせない惣次の態度に狼狽える男に向かい、惣次は容赦なく畳み込む。相手の額から汗が滴り落ちる。 惣次を見込んだ井筒屋保晴は、娘雪乃の婿になり、店を継いで欲しいと、板敷に平伏したままで顔を上げようとしない。あまりに唐突な話に惣次は呆れるしかない。 腹をきめた惣次の出した答は、まず銭両替の仕事を仕込んで欲しい。見込みがあると思われたら、新しい試みをしたい。それが上手く行ったときに改めて婿養子の話をしたい、というものだった。 惣次の言う通り、かっきり3年待った。娘も早や23、そろそろ決めてくれないかと井筒屋に詰め寄られ、惣次は腹を据え婿養子の話を受けた。引き合わされた娘は、かつての女房とはまるで反対の女だった。それで良い、江戸で身を立てるーーその足掛かりにするための相手ゆえ、十分だった。 寛延4年、3代目保晴の姿は井筒屋の墓所下谷本成寺にあった。五十鈴屋を捨て江戸へ出て6年。かねてより銭両替から本両替への鞍替えを望んでいた惣次だったが、ようやくその手がかりを掴んだところだった。 境内の手水舎で水桶にたっぷりと水を汲み、そこに掛けてあった手拭いを借りようとしたとき、珍しい色が混じっていた。青みがかった緑色が冴え冴えと美しい。ほんの僅か迷い、思い切って引き抜く刹那、染め抜かれた紋様が惣次の目を射抜いた。鈴が五つ、そして「田原町 五鈴屋」 ー先ずは五鈴屋の名ぁを売ることだす。 ー五鈴屋という屋号を広く知ってもらう、ということですね 遠い昔、十三夜の月を愛でながら、ひとりの女とそんな遣り取りをしたことがあった。場所は大坂天満菅原町 五鈴屋の離れの広縁であった。 手拭いを手にしたまま惣次は駆け出した。神社.仏閣には必ず手水舎がある。罰を怖れて誰も盗まない。思った通りだった。 店の名を売るのにこれほど優れた方法があるだろうか。5代目だった惣次がなし得なかった夢を果たしたのだろうか。誰がここまでの知恵を絞り得たのか。弟の智蔵にはとても無理だ。 それが出来るのは、惣次の知る限りただひとりだった。 やられた、と惣次は心底思った。 「これは負けてられまへんなぁ」 本城寺に戻り、元のように手拭いを掛け、惣次はもう一度、呟いた。 「お互い、負けるわけにはいきまへんで」 五鈴屋の今を知ることで、井筒屋3代目保晴として、先々の荒波を乗り越えていく性根が座った。 第2話 はた結び 田原町3丁目にある五鈴屋江戸本店 支配人を努める、生真面目な佐助の、恋の今昔に纏わる短編。 第3話 百代の過客 右手の針、左手の糸を交互に眺めて、お竹は幾度目かの深い溜息をつく。 老いを自覚し、どう生きるか悩むお竹の物語。 第4話 契り橋 「五十鈴屋の要石」と呼ばれた番頭、治兵衛のひとり息子、賢輔。江戸本店の手代で、小紋染の型染の図案を考案するなど、江戸本店に欠かせない存在になっていた。五十鈴屋大坂本店9代目を継ぐ時期が来ていた。 大阪に戻ってしまえば「あの人」と会えなくなってしまう。 それでもと、賢輔は思う。諦めない、決して。 あの人との人生を。 ともに手を携え、商いの端を築き上げる人生を。 「あのひと」に対する、賢輔の長きに亘る秘めた想いの行方を描く短編。 ☆主な登場人物 ♣︎幸(さち) 学者の子として生まれたが、父の死後9歳で大阪天満の呉服商「五鈴屋(いすずや)」に、女衆(おなごし)奉公に出された。 主筋に生まれついた訳でも、商家へ嫁ぐべく育てられた訳でもない幸であったが、商才を見込まれて4代目の後添いとなった。4代目の死後、望まれて5代目(惣次)の女房となるも、訳あって惣次が幸を離縁して消息を絶った。 6代目(智蔵)の女房となるも、智蔵は若くして病没。6代目の没後は7代目を継ぎ、江戸へ移り、「五鈴屋江戸本店」店主となる。 ♣︎賢輔 「五十鈴屋の要石」と呼ばれた治兵衛のひとり息子。江戸本店の手代で、小紋染の型染の図案を考案するなど、江戸本店に欠かせない存在になっていた。五十鈴屋大坂本店9代目を継ぐ時期が来ていた ♣︎惣次 五十鈴屋5代目当主で幸の前夫。離縁状を置き消息を絶ったのち、江戸へ出て、本両替商「井筒屋」3代目当主保晴として再び幸の前に現れる。 ♣︎お竹 五十鈴屋で40年近く女衆奉公したのち、幸に強く望まれて江戸店へ移り、小頭役となる。幸の片腕として活躍。 2022.6.11の日記 あきない世傳 金と銀 1〜3 2022.6.11の日記 あきない世傳 金と銀 4〜6 2022.6.28の日記 あきない世傳 金と銀 7~9 2022.7.3の日記 あきない世傳金と銀 10~12 待ち焦がれた続編(特別巻上)でした。図書館で予約して半年待ちでした。 特別巻下も予約しましたが、予約順位450番。さていつになりますことやら。幸と賢輔の行く末が気になりますが、気長に待つことにします。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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