ビッグバンの残響
宇宙が150億年前にビッグバンから始まったという話は、少しでも近代宇宙理論に興味をもったことのある人でしたらよくご存知だと思います。針の先ほどの宇宙が膨れ上がり、膨張しながら現在の宇宙を形成しているという話は言葉ではなんとなくわかるものの、イメージするのは甚だ困難なことでもあります。遠方宇宙の赤方偏移、つまり遠ざかるサイレンの音が間延びして聞こえるように、高速度で我々から遠ざかる遠方の銀河のスペクトルが波長の長い方、つまり赤色側にずれている事実がそのことを証明している現象のひとつです。空間としての宇宙は均等に膨張していますので、その密度は当然のことながら膨張に連れて希薄になっているはずです。そしてそのことを証明するのが宇宙背景放射と呼ばれるマイクロ波の存在です。超高密度、高温の原初の宇宙はインフレーションと呼ばれる爆発的な膨張期を経て、物質が物質であることを許容する条件にまで拡大していきました。当初光でさえも自由に動くことのままならない世界から、宇宙が急速に冷え始めた時期の光子のなれの果てが宇宙背景放射となって全宇宙に偏在しているのです。事実、宇宙背景放射は全ての方角からほぼ均等な強さで観測することができます。そしてそのスペクトルは3°K、つまり摂氏で言いますと-270度Cの黒体輻射のスペクトルとよく一致します。これはビッグバン後、3000°Kであったと類推される宇宙の温度が膨張に伴って3°Kまで冷えたことを意味しているのです。宇宙の膨張を加速している力の源が何であるかははっきりとは示されていませんが、全宇宙のエネルギーの65%を占めるダークエネルギーと呼ばれる力です。そして別の30%を占めるのがご存知のダークマター、星々を浮かべている媒体とも仮定されている物質のことです。我々の身体や星々を形成している物質のエネルギーは残りのわずか5%なのです!逆説的ですが、星々の質量を全て合わせても、銀河系を回転させるだけのエネルギーに遠く及ばないため、ダークマターが定義されているともいえます。10年以上前にも、NASAが打ち上げた観測衛星コービーが詳細に宇宙背景放射の観測を行い、大きな成果を収めましたが、最近は南極に建設された専用の観測装置が宇宙背景放射の詳細な観測に成果を上げつつあります。南極は文明世界から放たれる種々雑多な雑音から隔絶され、最高精度を得るために絶対零度に限りなく近い極低温を実現するには理想的な場所なのです。しかも観測所は南極にそびえる峰の3000mの高みにあり、大気はその希薄さと低温ゆえに殆んど水分を含んでいません。実は大気中の水分が電磁波の赤外域から紫外線までの波長のスペクトルを吸収してしまう元凶なので、最大限その影響を排除できるわけです。さらに、極地とは言え地に足をつけた作業ができますので、宇宙空間よりははるかに自由度も高いと言えます。ここで、宇宙背景放射のピークに近い1~3mmの波長帯のマイクロ波を長期にわたって精密に観測しています。それにしても、冬場にはー70°C以下にも下がってしまうこのような極寒の高地で、人知れず観測にいそしむ人たちがいることは普通の人からすればなんとも物好きなと思われることでしょう。宇宙が彼らに語りかけているに違いありません。「耳を澄ますがいい、広大無辺な宇宙の片隅のものよ。遥かな宇宙の辺境から伝わる、全てのものが溶け合い混ざり合っていた時代の残響を。汝は知るであろう、無限を超える時空の営みを」