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カテゴリ:礎
私達は「生きてる」のではなく「生かされている」のだというテーマは、不思議な時期の一致なのか・・・「これも偶然では無く必然なのか」?新潮45の「A・NO・YO」(江原啓之編集長)の書き出しの『聖フランチェスコの祈り』から(江原さんはこの詩と映画「ブラザー・サン シスター・ムーン」に出逢われてその後の人生を決定づけられたそうです)
主よ、貧困と飢えの内に生き死ぬ 世界中の同胞の為に働く私たちを、 そのことにふさわしい者にしてください。 私たちをあなたの平和の道具としてお使いください。 憎しみのあるところに愛を 争いのあるところに許しを 分裂のあるところに一致を 疑いのあるところに信頼を 誤りのあるところに真理を 絶望のあるところに希望を 闇に光を 哀しみのあるところに喜びを もたらすものとしてください 慰められるよりは慰めることを 理解されることよりは理解することを 愛されるよりは愛することを私が求めますように 私たちは与えるから受け 許すから許され 自分を捨てて死に 永遠の命をあずかるのですから この詩に出逢った時、とても心が軽く?なった。 私も人生に迷っている人に「あなたは必要な人間だ!」と言い続けたい! みんな必要だから生まれて来たのだから・・・必要ではない人間などいないのだと! 「あなたにいて欲しい」のだと!!! 今、辛く悲しくともいつの日か穏やかな心になれる日も来ると信じて欲しいと・・・。 先日「とくダネ」で夜回り先生「水谷先生」の事を特集していて、コメンテーターの方達が水谷先生の「根拠の無い自信」が素晴らしいだったか「今の時代、この根拠の無い自信を持つ必要性」という話をしておられた。 自分勝手な人間の「根拠の無い自信」は迷惑千万なだけだが、私は今「根拠の無い自信」を持って言い続けてみようかと思っている。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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