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カテゴリ:かむ太郎の法則
↑ラファエロ作「アテナイの学堂」 この有名な絵の中央(向かって右の青い装い)の人物こそ アリストテレス です。 「万学の祖」と呼ばれ、現在の学問のほとんどが 彼の言うところの「哲学」の範疇に含まれる・・・との事。 (アリストテレスのいう「哲学」とは、 『知的欲求を満たす知的行為そのものと、その行為の結果全体』) なんてったって、かの「アレキサンダー大王」の 家庭教師だった・・・ってんだから驚き! プラトンの弟子であるが、後に袂を分かつ。 決別した理由は政治的背景、思想的背景などが挙げられるが この時の様子を、プラトンは 「アリストテレスは私を蹴飛ばして行ってしまった。」 と語ったらしい。 プラトンの「イデア論」を否定する学説に傾きかかったことも 大きな要因である。との事。 ま、実際に「蹴っ飛ばした」わけではないとは思いますが。 さきほどのラファエロの絵にも象徴的に プラトン:自著「ディマイオス」を持ち、天を指す。(理想主義の暗喩) アリストテレス:「ニコマコス倫理学」を持ち、手を前に。(現実主義の暗喩) と描かれています。 先日記した、デカルトも、科学的アプローチを取り入れつつ すべての事象を解き明かそうと試みたのですが、 アリストテレスは、デカルトよりも遥か2000年前に 科学的アプローチを試みていたのはすごいことです。 もちろん、この頃(紀元前384年~紀元前322年)は 「科学」という概念は確立されていなかったでしょうが・・・ 自然科学の分野では、後の科学的発展により 当時の学説は多くが崩れ去っていますが、 「哲学」においては2000年以上経った今でも 十分に生きています。 逆に言うと、 「自然科学」は、この2000年で人類は 飛躍的に真実を解き明かしてきましたが、 こと「哲学」に関しては進歩が無い? それとも、2000年前に既に人類の限界まで 解き明かしてしまった。ということか? アリストテレスは、「ニコマコス倫理学」の中で 「徳」について触れています。 「徳」というと、「道徳」に代表されるように 人としての倫理的思考・行為や仏教で言うところの 「徳を積む」という感覚がお馴染みですが、 アリストテレスの言う「徳」とは、 ・それぞれが持つ固有の特性を十分に発揮できる状態にあること。 更に、「その状態を発揮できること」を「善」としています。 「善」に至るには即ち「徳を積む(=己の力量を磨く)」ことが必須で 「徳」は日ごろの習慣により鍛錬され、磨かれていきます。 己の才覚を磨くことも、仏教的な「徳を積む」ことも 目指すべき姿に向かって、日々鍛錬を積む。 と言う点では似た感覚だと思います。 更に、アリストテレス曰く、 「善」=「幸福」 とも。 個々の特性を磨いた状態が「徳(アレテー)」 「徳」を発揮することが「善(アガトン)」 「善」を為すことが即ち「幸福(エウダイモニア)」である、と。 そう考えると、 アリストテレスの言うところの 幸福 ってのは、日々の積み重ねさえしっかりしていけば そんなに遠い所にあるわけでもなさそう。 ま、その「日々の積み重ね」こそが難しいんですけどね。 常々自分に言い聞かせている 人生は、1年1年の積み重ね 1年は1日1日の積み重ね 1日は1分1秒の積み重ね 1分1秒は 今この瞬間瞬間の積み重ね という考えをしっかりと持ち続けることが 「幸福」への確かな手段か。 人生とは、 これまで積み重ねてきた「徳」と目の前の「選択」 の更なる積み重ね。 そう考えると、過去積み重ねてきた「徳」を (良くも悪くも)しっかりと認識・自覚したうえで この先常に迫ってくる目の前の「選択」を より「幸福」に向かえるようにしていくことが肝要。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024年02月25日 18時10分44秒
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