小泉政権を振り返る番組を見ていると社会は年々悪くなってきたような印象を受ける。
犯罪は増え、格差が拡大し、社会福祉は削られる一方。
繁栄に見えて実はツケで遊びまくっていたバブルは別とするとその直前が最もよかった社会だったんだなぁ、と思うが、それじゃ、これから社会に出て行かなければならない子供たち、20年前だったらよかったのかな、と自分に問うと違う答えが返ってくる。
姉娘のことを考えると20年前はかろうじて男女機会均等法が施行されたばかり。まだまだ女性の職場は狭かった。一般事務なら正社員になることは難しくなかったが、かといって女性が長く勤めることは会社も社会も好意的に見てはいなかったから、正社員の最大の特典である終身雇用は多くの女性にとって意味を持たなかった。あの当時に就職し頑張って働き続けた女性達も90年代後半のリストラの嵐を絶えられるほどの確たる地位を得た人は一握りだったろう。
もう一人の子供、発達障害を持つ息子のことを考えれば、さらに今だ。非難の多い支援法ではあるけれど、20年前では一部でADHDや学習障害が取り上げられたばかり。軽度の発達障害の子供はほとんど放置されていた。就労の支援も身体的なハンデのある人にようやく光が当たり始めた頃で、今よりはるかに生きにくかったろうことは想像に難くない。
これは我が家の勝手な事情だから、社会全体で見れば今の方が悪い社会なのかもしれない。それにしても、社会ニュースを意識し始めた中高生時代を含めて、日本の社会がよかったという記憶が私には全くないというのも不思議に思える。
バブルという例外はあったけれど、高度成長期はインフレの不安、公害の悲劇、低成長になってからは円高でもう、日本の経済はおしまいだというような見出しが大きかった。その後は、円安でもうだめだとも言っていた。
今、振り返ってみればバブルまでの社会保障は世界でもトップクラスだったと思うけれど、スウェーデンなど一部の国を引き合いに出しては、日本は福祉が遅れているというのが誰も疑いようのない社会通念だった。
格差が広がってと嘆く声が多く聞かれるけれど、一億総中流というのは多分に自嘲的に使われていたと思う。みんな、アメリカン・ドリームの華やかさにあこがれていなかったか。今の世の中は先に明るい見通しがないから子供の事件が多いというけれど、あの時代は日本の社会ではレールが決まっていて、そこそこの人生しか用意されていないから、子供は希望が持てないといわれたっけ。
バブルの頃の地価高騰の時、地価が適性になったらどんなにいいかと国民すべてが願っていた。でも、地価が下がって幸せにはならなかった。
私が小中の頃が詰め込み教育のピークだったらしい。落ちこぼれ問題以外にも詰め込み秀才は社会で役には立たない、個性と才能を伸ばそうといって、詰め込み教育は廃止された。ホリエモンや村上さんがその成果なのか?違うな、彼らは偏差値教育の勝者でもある。ヒデや松井か?
いつもいつも、過去がよかったというのはおかしいな。
日本人って暗すぎるのか、それとも政治を見る目が成熟していないのか。
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