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テーマ:日本の歴史(1070)
カテゴリ:神話
明日から群馬。
定例の出張の他、新たな提案をする予定なんス。 ビッグビジネスにつながるか! 勝負じゃー! ってなワケで、久しぶりの古代史♪ 縄文「出雲王朝」のとこまで書きましたよね。 さて、紀元前3世紀、 弥生時代に突入します。 いよいよ金属器が伝わってきました。 前述のように、出雲王朝は、 金属器以前の武器、黒曜石の王朝でした。 国引き神話でも書かれてるように、 出雲は挑戦半島の新羅とも交易の痕跡があるから、 当然直接金属器が伝わったと考えられるけど、 主要ルートは、どうも対馬、壱岐経由だったようなんです。 なぜかって言うと、 こいつはね、鋳型なんです。 金属器、この時代は銅器なんですが、 当初は当然「製品」として伝わったと思うんです。 でもそのうち、「自分でも作ってみよう♪」 そう思うんじゃないですかね。 半島から伝わった銅器、多分「銅剣」だと思うんだけど、 もちろん「ダータ」じゃないですよね。 新しい発明品なんだから、メッチャ高価だったはずですよね。 だから、そんなに「イータカ」なモンなら、 自分達でも作ってみようぜ♪ ってーのが人情じゃーないですか。 で、多分半島の朝鮮人か、本当北部の中国人に 「おせーてぇなぁ♪」 ってなもんで製造方法を聞いたんでしょう。 日本列島西部には多くの銅器の鋳型が発掘されてるんです。 ここで面白いことがあるんです。 この銅器(銅剣)の鋳型の出土地、 全国の90%近くは九州なんです。 しかもそのほとんどが北部に集中してるんですね。 そして、対馬・壱岐からも出土してるんです。 肝心な出雲は? こいつが出土してないんです。 とは言うものの、 製品としての銅剣は、以前も書いた通り、 荒神谷から357本もの一斉出土があるんですね。 これの意味するものは何か? これはねぇ、 出雲の致命的な判断ミスだったんじゃないかと思うんです。 金属器という画期的な利器という認識はあったと思うんですが、 数百年の王朝にアグラをかいた出雲は、 その金属器の利権を独占しなかった! 一の子分だった「天国」を信じ、 対馬・壱岐ルートの流通を認めてしまったんじゃないでしょうか! 出雲王朝が先見の目がなかったのか、 天国(アマクニ)の天照大神が老獪だったのか・・・・・ ここが大きな歴史のターニングポイントだったんでしょう。 銅剣の輸入と製造権を持った天国は、 ジワジワと力を蓄えていったことでしょう。 豊臣政権下の徳川みたいなモンでしょうかね。 そしてこの頃のもう一つの大きな問題、 それは「稲作」! 2300年前のことだけど、 ここには大きな政治的力が働いてるように思いますね。 あれ、チット長くなりましたね。 今ね、あんまり面白くない話しなんだけど、 こうやってブログに書くことで、 自分の考えがまとまってくるんです。 素盞嗚氏的には、紀元前がよーく見えてきました♪ 卑弥呼以前・・・・・ 大和の匂いのしない時代を理解することから始めないと 7世紀は見えてこない・・・・・ 沙奈さん、 時間、かかりそうだけど、 ジックリ付き合ってね♪ SEE YOU NEXT TIME お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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