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テーマ:日本の歴史(1070)
カテゴリ:神話
なんでこんなに忙しいの? 遊んで暮らしたーい! ちゅーこって、明日は日帰りで広島。 新幹線の往復6時間の中で、原稿でも書こうと思っています。 この天孫降臨から、神武までの流れ、 だいだい矛盾なく推測してます♪ 連休で完結できるようにがんばります、はい♪ 先週久しぶりにバンドの練習でした。 そん時、ギターの「糖尿のダンナ」が撮ってくれました。 右翼やないでぇ・・・・・ で、天孫降臨の続きッス。 天照大神の孫、ニニギが天国(アマクニ)(対馬海流圏)から 「降りた」場所について、 前回、クジフルダケの検証から、今の福岡、糸島半島の南と書きました。 さらに新たな資料を見つけました。
豊葦原(トヨアシハラ)の千五百秋(チイホアキ)の 瑞穂の国は、吾が子孫の王たるべき地なり。 日本書紀の一文です。 戦前は学校で覚えさせられた文だそうです。 天壌無窮の神勅っていうと、古い方ならきっと知ってるでしょうね。 ここに出てくる、 豊葦原の千五百秋の瑞穂の国とは何か? 字面からもわかるように、 「稲作によって豊かになっている国」 っていう意味ですね。 これ、天照大神が言った言葉なんだけど、 わかりやすく言うと、 「この稲作の盛んな豊かな国は、 これからアタシの子供達が支配するからね♪」 そう言ってるんです。 この意味するところは何か? 天照大神のそれまで支配していた天国には 稲作がなかった。 だから、すでに稲作をしていた地を支配したかったんで、 出雲を脅して(国譲り神話)天孫降臨した。 こういうことなんです。 ニニギが稲作を持って天孫降臨したってことじゃないんですね。 じゃー、稲作の盛んだった地とはどこか? 天国から南に降った九州北部、 ここには縄文水田で有名な 「板付遺跡」があるんですね。 天照大神とニニギはここがほしかったんです。 天孫降臨の地を南九州とした場合、 すでに稲作が盛んだった地はあったのか? 残念ながらないんですね。 もっともこの天孫降臨の時期がいつだったか、 この議論も重要なんですが、 素盞嗚氏は紀元前100年ごろだと考えてるんです。 なぜなら、この板付水田、このころから急激に衰退してるんです。 そればかりか、考古学的にみると、 「前末中初」ということばがあるぐらい、 弥生時代の「前期末」と「中期初め」では ドラスティックに遺物が変化してるんです。 これは違った文化が急激に入ってきたことを意味します。 要するに、侵略ですね。 この「前末中初」が紀元前100年ぐらい、ってワケなんです。
それともう一つ、天孫降臨の地が福岡だったという証明として、
ニニギの子供のヒコホホデミ君のことで、 高千穂の宮にいて、そのお墓は高千穂の山の西にありまっせー♪ って書いてあるんですよ。 この高千穂、天孫降臨の時に出てきましたよね。 筑紫の日向の高千穂のクジフルダケってヤツです。 ここについては、ちとジックリやります。
紀元前100年のニニギの天孫降臨から、 紀元200年前半の卑弥呼の時代にどう変わっていったか・・・・ 次回のために、明日新幹線で原稿かきまーす♪
え、パチパチですか? 忙しくてあんまりやってないんでぷ・・・・・
さて、明日は広島、 ヤクザに間違われんように、 右翼っぽくしていこーっと♪ SEE YOU NEXT TIME
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