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テーマ:日本の歴史(1070)
カテゴリ:神話
渋谷にゃー、いろんな店があります。 素盞嗚君は、3回に1回は シェーキーズでピザを喰うんですが、 こないだはカレーの食い放題に行きました♪ カレーは日替わりで5種類! お奨めはビーフカレー♪ ビーフがデカい! サラダもデザートの食い放題! もちろん大好きな「ナン」も喰い放題! いやー喰いすぎで死にそうになりました・・・・
うううう・・・・・
苦しい・・・・・
・・・・・・ ちっと古いか・・・・
さて神武です。 なんで神武軍は、目的地であった東に行かず、 寄り道をしたのか?これです。 神武たちが主体的に 目的地を近畿にもっていったのなら、 糸島半島から直接船で東に向かうはずだと思うんです。 でも記紀では、まず筑紫に行って、 そのあと宇佐(大分)、 そしてまた筑紫の岡田宮へ・・・・ ここで初めて船で東に向かうんです。 なぜ九州内を移動したのか・・・・ なぜ宇佐に行ったのか・・・
神武軍がこの東征に向かった時期は、 後日詳しくは書きますが、 おそらく2世紀後半だと思うんです。 2世紀後半というと、先述した通り、 倭国(ホホデミ朝)の末期、 「倭国大乱」前夜って頃です。 この時期、神武に何があったのか? 当初素盞嗚氏は、倭国大乱時に新世界を求めて ホホデミ朝とは関係なく 東に向かったんじゃないかと考えてました。 でもそうすると、 この神武の寄り道の意味がわかんないんです。 で、推測したのは、神武たちは 自主的に東に向かったんじゃない! ホホデミ朝の配下にいた神武軍が そのホホデミ朝の「意志」で、 東征の指揮をとったんじゃないか! こう考えてみたんです。
神武たちは、領地であった糸島周辺で、 東征の知らせを受けた。 そこでまずはホホデミ朝の中心地である 筑紫に出向いて勅命を拝した。 そして、神武軍と「連合軍」を組むべく、 宇佐に行ったと考えられるんじゃないか! 宇佐での軍儀が成功し、 二軍連合で、出征の地、 筑紫の岡田宮へ出立した・・・・・ そうすればこの九州内寄り道の訳が理解できるんです。 残念ながら証明するスベはないんですが、 このような仮説を立ててみました。
さて、岡田宮を出立した神武軍、 このあとも不可解な行動をします。 次回、ここを考えてみましょう♪
明日は子素盞嗚2号の誕生日♪ で、今日前夜祭で寿司喰いに行きました。 「ジャンボおしどり寿司」 うんまかった~・・・・ でも、 お金もかかった~・・・・
さーて、明日は千葉! いい仕事してきますゼい! SEE YOU NEXT TIME お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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