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素盞嗚(スサノオ)の日本古代史

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May 29, 2006
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テーマ:日本の歴史(1070)
カテゴリ:神話

社保庁のなんとかっていうオッサン。

いい加減にしようぜ。

お前の手ぇには負えないよ。

器じゃない!

小さいヤツは去れ!

お前みたいな小者が国を悪くするんだよ。

正直に生きて見ろよ!

「パンツ脱いでさぁ♪」

・・・・・・・

嫁には叱られちゃうけど、

それでイイじゃん♪

 

 

神武です。

吉備から背水の陣で大阪湾に向かった神武軍。

古事記にはこんな風に書いてあります。

 

「『浪速の渡り』を船で通って、『白肩の津』に行った。

 その時、ナガスネヒコが待ち構えていて、

 ガンガン戦った。

 その時神武軍は楯をとって上陸したんで、

 そこを『楯津』って云うんです。

 今(8世紀)、『日下の蓼津』っていうのは、

 そう云った理由からなんです」(素盞嗚訳)

この記事、実際の近畿の地図を見ると、

ありえないんです。

船で攻め入った神武軍をナガスネヒコが

迎え撃ったって説話なんだけど、

その戦闘場面である「日下の蓼津」って地名は、

今の地図でいうと、

大阪湾を随分東に入った内陸部なんです。

それをもって、今までの学説では、

「ありえねぇー」

ってことで、津田左右吉ヨロシク、

神武東征は「架空」だった!

そう言ってるんです。

江戸時代の古事記の大家、本居宣長も、

「古事記は絶対だけどさぁ、

 でもこの大阪湾進入説話は、

 チットどうなのかなぁ・・・・」

そう言ってるんです。

・・・・・

そうそう、

2週間ぐらい前から

トップページに挙げてある地図、

こいつをよーく見てください。

これはね、

3世紀の近畿の地図なんです。

南北に突出した半島の中央部が、

今の大阪城あたりです。

現在と随分地形が違うんです。

 

神武水軍は吉備を出発して、

大阪湾の北方の水道を通って、

河内湾(河内湖)に進入した。

そして河内湖の「ドンツキ」まで船を進めたんです。

もう一度、トップページを見てください。

河内湖の「ドンツキ」・・・・・・

ここに「日下(楯津)」があるんです。

 

 

神武説話は8世紀の地図からいうと、

その日下の地が内陸だったんで、

デタラメな話とされたたんだけど、

考古学上の3世紀の地図からみると、

古事記の描写がリアルだったんです。

 

とにかく神武軍は近畿の地でケンカを売ったんです。

当時の近畿は、西の「銅剣文化圏」に匹敵する

「銅鐸文化圏」だ。

そこに背水の陣で臨んだ神武軍が、

突入していった・・・・・

・・・・・・

さて、その勝敗の行方は・・・・・

 

これから、神武東征のクライマックスです。

でもね、最後にどんでん返しがあるんです。

もうちょっと、付きあってください。

 

 

イカン・・・・

安い酒が脳ミシを破壊しとる・・・・

 

 

明日、

オレにとって大きなことが起こる。

でも、なるようにしかならん。

だから、

正直に・・・・

 

 

そして、

自分と、

自分が信じた仲間を

信じるだけ♪

 

やることはやったし、

ケツまくる覚悟もできてるし、

さーて、

静かに明日を迎えるかねぇ♪

 

 

 

・・・・・・・

 

 

 

 

 

でも・・・・・・・

 

 

 

 

 

・・・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

チット、ビビッてましゅ・・・・・・

 

 SEE YOU NEXT TIME

 






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Last updated  May 30, 2006 12:01:48 AM
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