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素盞嗚(スサノオ)の日本古代史

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May 31, 2006
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テーマ:日本の歴史(1070)
カテゴリ:神話

まーここ数日は、

上がったり下がったり・・・・

眼が回ってますが、元気でやってます♪

新しいビジネスが6月から始まります。

金はないけど、

心意気だけは誰にも負けない!

そんな4人で荒波に船を出します。

背水の陣で近畿に攻め入った神武君の心境ですね。

なんとなくオーバーラップして書いてます。

 

河内湖に侵入して日下に上陸した神武軍、

それを迎え撃つナガスネヒコ。

この戦、神武軍の大敗。

なんと、大将のイツセ(神武の兄貴)が戦死しちゃうんです。

帰る地があればきっと帰りたかった・・・

でも神武軍にはもう帰る地はない。

でも正攻法ではナガスネヒコには勝てない。

そこで神武軍は大将イツセの弟神武を

大将に立てて、大阪湾から南に舟を進めました。

なんと紀伊半島の先端、

熊野で上陸して、陸路北上して行くんです。

大和に行くまでに何度か戦闘を繰り返します。

その戦闘シーンは、

王軍が堂々と駒を進める、というよりは、

だまし討ちばっかりなんです。

全然スマートじゃない。

「残虐」「セコイ」

そんな表現がピッタリな闘いぶりなんです。

そして現在の奈良県桜井市の辺りまで来るんです。

その間の戦闘シーンに、記紀は歌謡を載せてます。

その中で、実に不可解な歌謡があるんです。

今日はその内のひとつを紹介します。

桜井市に入って

再びナガスネヒコと対峙した時に歌った歌として、

神風の 伊勢の海の 生石に

這ひもとほろふ シタダミの

い這ひもとほり 撃ちてしやまむ

通解すると、

伊勢の海に生い立つ石に這い回っている

シタダミのように、敵の周りを這い回って

撃ち滅ぼしちゃうぞ!

まーこんな感じなんですが、

これ、おかしいんです。

通説ではこの「伊勢の海」は

あの伊勢神宮の伊勢だとしてますが、

神武軍は九州を出発後、瀬戸内海を通って、

近畿へ、そして紀伊半島を半周して、

熊野から陸路北上して桜井市に入ったわけで、

伊勢は通ってないんです。

しかもこの時には伊勢神宮もなかったし、

なぜここに「伊勢」がでてくるのか・・・・

神武たちの行軍ルートに別の伊勢があったのか?

それとも神武の故郷にある「伊勢」の地を思い出して

その歌を歌ったのか?

調べてみると、面白いことがわかりました。

素盞嗚氏は神武の発進の地は

筑紫の糸島半島辺りだと以前に書きましたが、

その糸島半島周辺の古代地形について

考古学者の森浩一氏が言うには、

糸島半島の付け根辺りはかなりえぐれ込んでいた、と。

実はその古代地形の予想地図があるんですが、

それを見ると、そのえぐれ込んだ湾のドンツキに

「伊勢の浦」という地名があるんです。

しかもその周辺には「大石」という地名もある!

「生石」は「生い立つ石」と解釈されているけど、

これは「大石」という地名だったんですね。

「伊勢」の「大石」という2段地名です。

「鎌倉」の「七里ガ浜」みたいなモンですね。

そして神武軍はナガスネヒコとの決戦を前に、

自分たちの故郷である伊勢の浦で

シタダミと戯れていた昔を懐かしんで、

この歌謡を歌った、そう解釈したんです。

この歌をもって、実は神武軍の出発の地は

筑紫だった!

こう確信したんです。

そしてもうひとつスゴイ歌謡はあるんです。

いわゆる「クジラの歌」と言われる歌です。

次回、これについて新解釈を展開します。

 

明日は午後から銀座です。

今から呑み会が楽しみでーす。

SEE YOU NEXT TIME






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Last updated  May 31, 2006 07:28:18 PM
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