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素盞嗚(スサノオ)の日本古代史

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Jul 10, 2006
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テーマ:日本の歴史(1070)
カテゴリ:神話
ニギハヤヒは物部の祖。

その故地は出雲じゃなくて

九州北部の遠賀川流域だ!

前回、そう書きました。

んで、pleさんからサイコーな疑問をもらいました。
  




大和・石上神宮と表裏一体をなすという

石見(島根)の物部神社。

ここはニギハヤヒの子、

宇摩志麻遅命を祀る古社。

宇摩志麻遅命の宮地に鎮座するとのこと。

物部の出自が出雲ではなく北九州だとすれば、

物部は出雲族を牽制・鎮圧する役目を担っていたのでしょうか。

石上神宮では、

草薙剣の霊威を「出雲建雄神」として祀っています。

出雲とはどんな関係だったのでしょうねえ。



もっともな疑問なんです。

宇摩志麻遅命のことを考えると

ニギハヤヒ(物部)はやっぱり

出雲との関連を考えるのが普通なんです。

でも物部の名は九州北部の遠賀川流域にある。

いったいどういうことなんでしょうか?

ここでもう一回天孫降臨の頃まで

遡ってみましょう。

弥生中期、

出雲を中心とした王朝が

列島南西部を支配していた。

天国の天照大神は稲作の魅力から

国譲りを断行した。

結果的に王者出雲は

新興勢力の天照大神に兜を脱いだ。

しかし天照大神は出雲に天孫降臨せず、

孫のニニギを九州北部につかわせた。

天照大神は別に「出雲」がほしかったんじゃなくて

九州北部の肥沃な土地がほしかった。




ここで考えてみよう。

ニニギが降り立った地はどこだったか?

今で言う糸島半島の南部ですね。

そしてその後ニニギたちはどうしたか?

当然領土を拡大したはずですね。

当然四面を睨みながら

牽制をかけてたんだと思うけど、

メインは間違えなく「東」ですね。

天孫族は間違えなく東を侵略した。


一方その頃の天孫族の東とはどこか?

ニニギは稲作に適した地を求めてたワケだから、

当然遠賀川流域や関門海峡付近を押さえないワケがない。

ニニギは遠賀川流域を攻めたんです。


ニニギが攻めた時、

そこには当然土着の部族がいたはずですよね。

そして天孫族と争いになる。

彼らはいったいどうしたんでしょうか?



多分そこにいたのが

物部(ニギハヤヒ)だったと思うんです。

次回はもう少し突っ込んでいきますね。




だめだねぇ・・・・

相変わらず眼が回ってる・・・・・




SEE YOU NEXT TIME





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Last updated  Jul 10, 2006 10:29:27 PM
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