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カテゴリ:槇原敬之
【CD】悲しみなんて何の役にも立たないと思っていた。/槇原敬之 こんにちは。昨日は槇原さんのアルバムが発売されましたね。 でもってタイトルが「悲しみなんて何の役にも立たないと思っていた。」なのですが、 何故最後に”。”をつけたのか? にして深く掘り下げたいと思います。 大勢の前で演説するのなら”。”はいらないでしょう。 つけることによって、より個人的に発信しているように見せることができないでしょうか? 例えば以前のアルバムにマルをつけてみましょう。 「君が笑うとき 君の胸が痛まないように。」 「太陽。」 「HOME SWEET HOME。」 A「ねぇ君!君!」 B「なんですか?」 A「太陽。」 B「・・・・」 おかしいよ。あきらかにおかしいよ! 「太陽。」ってつぶやかれても、、、ってなってしまう。 特定するのみの個人ではなく、一人一人へ直接問いかけるための”。” 長いタイトルじゃなくて、物凄く直訳すればこうなります。 「悲しみも役立つ」 ・・・・ なんか違う。 それだと人の器用に生きられない弱さが見せられない言葉になる。 「100%役立つとは言ってないよ」「そしてやっぱり悲しいよ」という伝え方をしなければいけないですよね。 でもって”。”をつけることによって、話言葉にすると、もう一つ伝えられる意味がある。 「悲しみなんて何の役にも立たないと思っていた。」 これは続きにくる言葉は逆説であって「希望」の言葉に繋がっていくと言わなくてもわかるから。 「でも違ってたんだね。」みたいに。 全てをひっくるめたらこのタイトルになると。 うーん。深い。 これを「もう恋なんてしないなんて言わないよ絶対文法」とします。 絶望的な悲しみに落とされたら、人は底の景色が見れる訳で。だってもう下へ降りれないもの。 滅多にこれない場所から叫びながら、 階段をまた上がりながら、 また落ちるかもしれないとめげそうになりながら、 階段だけは上を向いて、底までの距離が深ければ深いほど「あぁ、上がってきたんだな」と自分自身を褒めてあげたらいいと思います。 本日ノ格言:「悲しみなんて何の役にも立たないと思っていた。 だけど悲しまないと見えなかった大切な事を気づかせてくれた」 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007年11月08日 20時02分41秒
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