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カテゴリ:愛すべき仲間たち。
参加できなかった地元団体のフォーラム打ち上げ。
パネルディスカッションでパネリストを務めてくださった Kさんが会場を提供してくださった。 こだわり八百屋であり、 ワンコイン寺子屋として 近隣の子どもたちの居場所もここで運営している。 週末には子どもたちが集う3畳ほどの座敷に 大きなテーブルをふたつ並べて、 持ち寄られた料理がところ狭しと。 鍋という話を訊いていたのだが、 鍋にまで行き着くまでにおなかが一杯。 当日、某放送局でオンエアされたニュース動画と 地元ケーブルテレビの動画を 代表、IさんのPCで一斉鑑賞。 やはりデータに飛びつく傾向にあるね>某放送局。 当日の舞台回りの仕切りは、 前回、照明に間で手を加えて会館を驚かせた Nさんのお連れ合いが担当してくださった。 細かなところまでの気配りは、さすがプロフェッショナル。 こういう方がいつもご協力くださるという有り難い巡り合わせ。 引き寄せの法則は今回も生かされた? パネリストとしてご登壇依頼をしておきながら私はお会いできなかった H先生にも、当日の感想を直にお訊きしたいところだ。 H先生にご登壇いただけたのも引き寄せのひとつか? 38年前の子どもたちの願いが、現在に至るまで叶えられていない事実。 これを訴えることができただけでも、よかった。 今回は区長以下、教育長もご参加いただき、 そこのところが大きかったと、メンバー。 被災地で、避難所にも仮設住宅にも 子どもや乳幼児親子への配慮がなされていなかったことは、 地元での調査結果と重なる部分でもある。 子どもへの配慮という視点が、 もともとのところにないということだもの。 20世紀当初にようやく「こども」という存在が発見された。 以来、110余年。 まだまだだなあ。 まあ、これはかなりスパンの長い視点での物言い。 つい、遠い眼をしてしまう。 が、それは欧米での話。 江戸時代の日本では、子どもたちは放っておかれたけれども、 おとなたちは往来で遊ぶ子どもたちのことは ちゃんと気遣っていて、馬でさえ避けて通ったと言われている。 もしかすると、日本という国は子どもの存在をちゃんと確認、 それなりに配慮をして来たのではないか? 何が、“古来の伝統”(笑)を崩壊させてしまったんだろうね。 宴のほうは、初めのほうこそ 国会審議の実態が子どもたちの政治離れを助長させている などという気難しい話をしていたが、 気がついたら、全く違う話題で湧いていた。 このところお疲れ気味の私は早めにお暇。 寒風が吹く夜の街を酔い覚ましも兼ねて歩いて帰宅した。 まだまだ、宴は続いているかな? 引き続き、今後ともよろしくね、 地元のみなさま。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2011.11.16 10:41:50
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