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カテゴリ:産む自信も育てる自信もなかった。
どうもね、いろいろ気になるので、
言うべきことは言っておこうと思う。 ひろばに、さまざまな方々が力を貸してくださる。 それはもう、大変有り難いと思う。 素晴らしいピアノの弾き語り、 子どものためのコンサート、 さらには幼稚園教諭経験者による読み語り。 それらを通じて 「愛を注ぐ」ことを伝えたい、と。 利用者に、それを直におっしゃらないところは最高評価。 だって、実際にそんなこと言われたら 利用者全員、ドン引きすると思うもの。 「愛を注げ」という台詞が、どれだけ親を追い詰めるか。 言われなくても、考える限りの愛を、 自分たちなりのやり方で注いでいるのだ。 第三者的に眺めていて、 「それはズレてる」と感じることはあるが、 当人たちがどれほど一生懸命に「愛を注いで」いるか、 それはもう、切実なほどに伝わってくる。 これ以上、そこのところに関して、押し付けてもらいたくはない。 間違いに関しては、 ストレートな表現以外で伝えてもらいたい。 人は良いお手本さえ見せてもらえば、 それを真似ることでなんとかできる生き物だ。 もちろん育児・子育てにおいても同じ。 黙って、次々と見せて行く。 そこに留まっている限りは、 細かいことは言わずにいようと思う。 もともとのところでズレていることは知っているし、 それはこれまでの経緯で致し方無しとわかっているから。 何故ズレるのか、について語ろうとすると おそらくは喧嘩になる。 喧嘩になるより前に、本が何冊も書けるくらいの諸々がある。 だから、ズレについては 時間をかけて修正して行こうと思うし、 いつか理解してもらえるだろうと思っている。 (そのくらいの信頼はあるし、時間をかける覚悟もしている。 でなければ静かに見守ってはいない。 今はまだ、世代間の差異、経験の違いに対する配慮が生きているから) ただ、気になるのは「愛」という単語が用いられるということだ。 これほど、使い方が難しい単語はない。 ときに「愛」という言葉を用いることが人を傷つけるということさえあるということ。 それを知っておいて欲しい ということなのかな、私が危惧するのは。 愛に傷つく子ども、おとな。 何よりね、国で進められている子ども・子育て施策改革への会議の ストリーミングを訊きながら、これを書いていること。 ここに会する方々の真摯な思いを直に聴いて来たものとして。 これを、ひとりでも多くの人々に知ってもらいたいという 野望を抱いている。 どの方の言葉にも「愛」はあるが、 「愛」という単語は用いず、それを押し付けようとはしていない。 明日は、大阪府知事と大阪市長のダブル選挙だったね。 この結果もまた、 子どもたちをさらに追い詰める社会になるかどうか を占う重要な要素となると思うよ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2011.11.27 01:28:20
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