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カテゴリ:20110311にまつわる諸々。
年度末を控えて、事業報告書のとりまとめにかかる。
助成金事業の報告書ゆえ テーマは東日本大震災被災地支援。 ああだこうだと、 事業テーマに則ってプロットを考えるのだけれど、 ああ、そうか、と全く別なことを思ったりして。 実家が阪神淡路大震災で被災。 ということは故郷が被災地だった訳だ。 当時、震災で母上を亡くした友人に お花を贈ろうと同窓生と画策、 しばらく連絡を取り合う中で感じたこと。 何故、故郷を被災地、家族や知人・友人を被災者と 呼び続けてるんだろう。 そう呼ばれ続けている人々のことを思った。 被災地でも、被災者でも、ない。 一括りされてたまるか。 そこで暮らす何百万という人々には、それぞれ名前があって、 被災地と一括りされている地域にも地名と言う 言わば名前があって。 呼び続けるほうも辛くて悲しいが、 呼ばれ続けるほうは、もっと切なく堪え難いのではないか。 1995年4月から娘が通い始めた幼稚園での 災害連絡訓練の想定が「震度3の地震が起きました」という 表紙向けするほどぬるい設定で、 電話が使える程度の地震で、いちいち緊急連絡網を回すな! と呆れながら、電話を回した。 連絡網が回った翌日の幼稚園のお迎えのときに、 母親仲間の一人が笑ってこう言ったのだ。 「震度3で、電話かけられるのかしらね」 すかさず、こう切り返してしまった。 実家のお隣は震災で全壊してしまい、 電話をかけてもつながらなかった。 彼女は、「えっ?」という表情で絶句した。 西側から電車で淀川を渡り、行き着いた梅田の街は 何事もなかったような喧噪のまっただ中で、 そのあまりの落差に、母と二人、呆然としたことを思い出していた。 この落差、向こう側の冷静さ。 17年前の東京は、まさにそうだった。 が、このたびは違う。 今になって、その違いが言語化できる。 2011年3月11日、 東京も被災したのだ。 かなり意地の悪い表現かもしれない。 でも、私の実感だ。 あまりの温度差に対して、とやかく言うつもりはない。 だって、実際に被災してみないとわからないもの。 故郷や家族、友人・知人が被災してみないと 伝わらないことがあるんだもの。 阪神淡路大震災で私が学んだことを、 東京は東日本大震災でようやく学んだんだ と思うことにした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2012.02.11 01:34:59
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