「質素だがこぎれいにきちんと片付いていた」
「床は掃き清められていた」
「土間に草履や下駄がそろえれれていた」(時代物)
「道具類が分類されてしまってあった」(例えば職人さんの部屋)
「本棚が整然としていて、背表紙がそろっていた」
「庭は箒の跡が残っていた」
などなど上記はわたしが未知の作家作品を読むときに、共感しその作家その作品を好きになってしまう文節なんですよ。
もちろん小説や物語にはどうしょうもない無頼者や破壊的人間、だらしがないひとも登場、乱雑でぐちゃぐちゃになっている様子も描かれます。
でもね、室内描写などのところに
「部屋が片付いていた」という一節があるとその作品を好もしく思い、信用してしまうのです。ま、ストーリーが全く面白くなければそれは問題外ですけども。
おかしいですか?
というわけで
63歳のブリット=マリーは
とてつもないきれい好き
長年にわたり自宅を完璧に磨き上げていたが、
の惹句にとても惹かれる
スウェーデンの作家
フレドリック・バックマン『ブリットマリーはここにいた』
リンク友のTodoさんの感想を拝見して気になったのもあり、読み始めました。
この惹句のつづきが
このたび浮気をした夫を置いて家を出た。
わお!やりすぎると・・・