|
テーマ:ささやかな幸せ(6742)
カテゴリ:お散歩日記
急にひとが来ることになったので、先輩とのお食事から帰った深夜、疲れた身体を引きずるように、部屋の掃除を開始。
散らばった本をあるべき場所に戻し、洗濯物をたたみ、ていねいに掃除機をかけるうちにだんだん調子が出てきて、あちこち磨いたり、水アカを落としたり。 気がついたらすごい集中力で掃除をしていて、「はっ」と気づいて立ち上がったら、なんだか身も心もすっきり軽やかになっていた。 余分なものが、削ぎ落とされた感じ。 4年前、就職が決まったわたしに、恩師が言った言葉を思い出すなー。 「疲れたり、思考が煮詰まったときは、煮込み料理をしなさい。材料をていねいに切って、時間をかけてゆっくり煮込むんだよ。 料理をする元気もないときは、掃除をしなさい。すみずみの、ふだん磨かないようなところを、ていねいに、真剣に拭いてごらん。 ふしぎなくらい、元気になるから」 言われたときは実感がわかなかったけど、ひとりで暮らし、会社で働いているいまなら、その感じがよーくわかる。 食事を煮込むことも、部屋を磨くことも、間接的に、自分を大切にいたわることに通じるんだ、きっと。 だから、元気が出る。 そして今朝、きれいになった部屋に、好きなひとが遊びにきました。 自転車をふたり乗りしてスーパーへ行き、切らしていた消耗品を選んだり、自転車のタイヤに空気を入れるのを手伝ってもらったり、簡単な食事をつくってテレビを見ながら食べたり、ぐうぐう眠っているひとの横で集中して本を読んだりしているだけなのに、なんでだろう。 何だか、自分がしゅっと真ん中に戻った感じがする。 わたしの心の中に部屋があって、わたしの「核」みたいなものがその部屋にあるとしたら、そのひとは、滅多なことではその部屋の中には入ってこない。 ただ、わたしが泣いたりわめいたり理屈をこねたりしていると、その部屋ごと、発酵したパン生地みたいなものですっぽりくるんでくれる感じがする。 最初はそれを物足りないと感じることもあったけど、今は少しちがう。 それは何というか、とても絶妙な距離感で、だからこそ絶大な安心感があるんだと気づいたのだ。 わたしが最近、うだうだ考え、悩んでいた仕事のことについても「ふーん」と言っただけで何のコメントもなかったけど、あのひとが帰ってから胸の中を点検してみたら、仕事に対する考え方もずいぶんまるくなっていた。 会社のひとに感謝するきもちも戻ってきていた。 もう2度と、社会人としては働けないかもしれないと覚悟したわたしが、また新しい居場所にたどり着き、あたたかい人たちに囲まれて働いていることは、それだけでもう、奇跡みたいなものだ。 今の仕事は楽しい。 前の仕事のときはできなかったこと(あたたかいごはんを食べる、決まった時間に眠る、週に1度は休む、映画をみる、美術館に行く、コンサートに行く)が自由にできるんだから、ほとんど天国だ。 「わたしはもっといろいろできるのに」と理屈をこねるひまがあったら、いまの職場で、こつこつといい仕事をしよう。 派手で目立つことが好きなのは若いから仕方ないけど、じみで目立たないけど大切なことを、いまは勉強する時期なんだ。 …と、いうくらい、心が前向きに!自分でもびっくりした。 なんなんだろう、あのひとは。 だいたい、さっき電話したら「え?なんか悩んでたの?」なんて言っていた。 のんびりしてるのか、おおきいのか。ひょっとしたらその両方なのか。 どっちにしても、これからの季節、あたたかいひとのそばにいられるのはうれしい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006.10.02 15:56:35
コメント(0) | コメントを書く
[お散歩日記] カテゴリの最新記事
|