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テーマ:今夜のばんごはん(50669)
カテゴリ:ごはん日記
家庭菜園をしているくまの上司から、「夕顔」という野菜を丸ごとひとつ、いただいた。
味と食感は冬瓜によく似ているけれど、冬瓜よりでかい。 直径15センチ、長さ40センチ以上ある。 はじめてこの野菜を見たのは、くまの実家だった。 ふわふわした歯ごたえの、ふしぎな煮物。 「これなんですか?」とたずねたら、「夕顔だよ」とくま母さんが取り出してきたのが、きゅうりの化け物みたいな、巨大な瓜。 「ふわあ、でかいですねえ…」と思わず絶句。 これ、暗闇の中にぶら下がってたら、ものすごくこわいと思う。 さて、いただきものの夕顔。 薄味で煮たらおいしいかな…としばし腕組みをし、くま母さんの味をヒントに、多めのだし汁としょう油、みりん、酒、砂糖でことこと煮てみた。 コクを出すために鶏ひき肉をひとつかみ。仕上げにおろししょうがと塩を入れる。 水とき片栗粉でとろみをつけ、あつあつに七味とうがらしをかけたら、体が芯からあたたまる秋のとろとろスープができました。 冷蔵庫で冷たくして食べるのもおいしいかな。 雪国に来てから、くまが採ってくる山菜や、いただきものの珍しい野菜なんかを料理する機会が多くて、失敗もあるけどいろいろ勉強になる。 さて、大なべいっぱいのスープを作ったのに、まだ半分以上残っている夕顔の果実、どうやっていただきましょうかね。野菜おばさんの奮闘はつづく。 水内喜久雄編「一編の詩がぼくにくれたやさしい時間」を読む。 あつめられた詩は、もちろんどれもじんわりとしみるものばかりなのだが、それぞれの詩の次のページに添えられた、水内氏のみじかいエッセイがいい。 詩というものは、本屋で偶然出会って黙読するよりも、むしろ誰かに口うつしで伝えてもらう文学なんじゃないかな、という気がしてならない。 教えてくれた人の声色や、そのとき吹いていた風のにおいなんかと一緒に思い出して味わうことで、一遍の詩がかけがえのない、忘れがたいともだちになっていく。 この本も、そう。 水内先生という、詩をとても愛している先生がいて、その人が自分の経験と一緒に、ふと思いついた詩を隣で口ずさんでくれる。そんな感じ。 エッセイと詩が上手に寄り添っていて、ページをめくりながら何度か涙ぐんだ。 おかげで、詩のともだちが一度にたくさん増えそうだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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