テーマ:NO!某S氏(22)
カテゴリ:「バカの壁」シリーズ
~ビビってるのは誰だ~ さて、話は戻りまして。 第二部は「手紙-メールも含む-に著作権はあるのか」という問題に触れておきます。 まず彼が「『手紙』に関する判決文」としてあげている「平成12年5月23日判決・東京高裁 平成11(ネ)5631 著作権 民事訴訟事件について。 この事件は通称「三島由紀夫の手紙事件」と呼ばれていることからも判るように作家福島次郎氏が「三島由紀夫-剣と寒紅」と言う著作の中で、故三島氏が福島氏に宛てた未公表の手紙と葉書を掲載したところ、故三島の遺族が ・手紙と葉書が故三島の著作物である ・上記書籍の発行は上記手紙及び葉書に関する複製権の侵害である ・故三島が生存していたならばその公表権の侵害になる と主張して執筆者、出版社、発行者に対し、書籍の出版等の差止、廃棄、損害賠償の支払、謝罪広告の掲載を求めた裁判です。 とりあえず、手紙を書いたのは大作家三島由紀夫と言うことを頭に入れましょう。 で、彼は判決文から ■と言う風に引用しています。 彼は >メールが『手紙』であることは疑いようもなく、この東京高裁の判断によると著作物と判断できるようです。 と簡単に言い切りますが、彼の言うように「手紙=著作物」と言う単純な構図ではありません。 判決文には >右の定義に該当する限り、手紙であっても、著作物であることは明らかである。 とあり、「右の定義に該当する限り」と言う条件付きで手紙にも著作権を認めているのです。 この定義とは「思想又は感情を創作的に表現したものであって、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するもの」と言うことになります。 また彼の引用した記述の後には >3 本件各手紙(本件書籍(甲第一二号証)中の掲載頁は、原判決七、八頁に記載されたとおりである。)を読めば、これが、単なる時候のあいさつ等の日常の通信文の範囲にとどまるものではなく、【F】の思想又は感情を創作的に表現した文章であることを認識することは、通常人にとって容易であることが明らかである。また、控訴人らが本件各手紙を読むことができたことも明らかである。そうである以上、控訴人らは、本件各手紙の著作物性を認識することが容易にできたものというべきである。控訴人らに過失がないとの主張は、採用することができない。 とあり、 >これが、単なる時候のあいさつ等の日常の通信文の範囲にとどまるものではなく、【F】の思想又は感情を創作的に表現した文章であることを認識することは、通常人にとって容易であることが明らかである。 と書かれていることからも「思想又は感情を創作的に表現した手紙=著作物」と言うことになり、単なる時候のあいさつ等の日常の通信文の範囲で思想又は感情を創作的に表現していなければ手紙に著作権は発生しません。 彼が引用した東京高裁判決の前の東京地裁「H11.10.18 東京地裁 平成10(ワ)8761 著作権 民事訴訟事件」の原審判決にも ■と、 >本件各手紙には、単に時候の挨拶、返事、謝礼、依頼、指示などの事務的な内容のみが記載されているのではなく、三島由紀夫の自己の作品に対する感慨、抱負、被告福島の作品に対する感想、意見、折々の心情、人生観、世界観等が、文芸作品とは異なり、飾らない言葉を用いて述べられている。本件各手紙は、いずれも、三島由紀夫の思想又は感情を、個性的に表現したものであることは明らかである。 と書かれていることからも手紙であれば著作権があると言うのは間違いですね。 ちなみに三島氏から福島氏に送られ小説の中で掲載された手紙は一五通。 その五枚目(本件手紙5)には福島氏が執筆した小説に対する三島氏の感想・意見等が書かれています。 その手紙が判決文中に全文が掲記されているので引用しましょう。 「前略、御作『はらから』やつと拝読しました。実は家の増築などで身辺ゴタゴタし、仕事もゴタゴタ、なかなかゆつくり落着いて拝読できず、どうせなら、気持の余裕のあるときに熟読したはうがと思つてゐたので遅くなりました。テーマのよく消化された短篇で、よく納得できるやうに書かれてゐます。性格描写としての兄弟の書き分けもたしかな筆づかひで、特に冒頭の弟のせせつこましい性格のエピソードの積み重ねなど面白い。 しかしこの作品で不満なのは、それ以上のものがないことです。おしまひに急に姉が出てくるのはいいが、肉親の宿命と愛憎が性的嗜好に端的に出てくるといふのはいいが、かういふ題材は川端さん式にうんと飛躍して、透明化して扱ふか、それとも、逆に、うんと心理的生理的に掘り下げて執拗に追究するか、どちらかです。洋子が隆次タイプと性的にピタリと合ふといふのは説明だけで、『いかに合ふか』といふのが、文学的表現の一等むつかしいところで、それをわからせて、実感させるのが、文学だと思ひます。 それから情景としては飛行場の近くといふところ面白いのですが、肝腎の飛行場が活用されてゐない気がします、これはもつと趣深く使へる筈です。文章については、根本的に短篇の文章といふ問題を考へ直してほしいと思ひます。これが短い簡単な話なのにゴタゴタした印象を与へるのは、文章のためと、自然主義的描写法のためと、もう一つは、月並な言ひ廻しのためです。13頁上段中頃の月の描写の月並さ、14頁下段の男神云々の表現、15頁上段の『欲情の闇』『赤い歓喜の炎』『恋の女神』『青春の花』などの安つぽい表現、15頁下段の『舞台装置のやうな』という比喩、16頁上段の( )の中の月並な感想など、・・・みなこの作品の味をにぶくしてゐます。御再考を促したいと思ひます。もつともつと余計なものを捨てること、まづ切り捨てることから学ぶこと、スッキリさせること、それから、題材に対して飛躍したスカッとした視点を持つこと・・・さういふことが短篇を書く上でもつとも大切だと思ひます。 悪口を並べてしまひましたが、意のあるところを汲みとつて下さい。次の作品をたのしみにしてゐます。匆々」 流石大作家、手紙も文学的ですねw さて、この判決とは全く逆の判決も引用しましょう。 ・・・と思ったら、字数が足りないので第三部へ続く お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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