テーマ:戦争反対(1190)
カテゴリ:「バカの壁」シリーズ
~アスペルガーの行く末~ ■この問題に対する中韓政府の態度はただ一言「内政干渉」に尽きるわけですが、日本人の中にもごく一部 >「戦没者の追悼でどのような仕方がいいかは、他の国が干渉すべきでない。靖国神社に参拝してはいけないという理由が分からない」 と言う発言の意図と背景が分からない人がいるわけですね。 ■とまぁ「愛国者」という単語の使い方を甚だしく間違っているアホが中共の狗として声高に叫んでいる訳ですが、もう一種のビョーキですね。 特にこの部分 >数多くの犠牲を出した誤った戦争への選択を行い、日本史上で唯一の「占領」という屈辱をもたらした責任は問われて当然です。 >いくら憎んでも憎み足りない。私は、日本人として、愛国者として、A級戦犯を絶対に許さない、認めない、死を悼むなどあり得ない。 もう犯罪者かどうかとか論理なんか関係なく、ただ俺が憎いから憎むんだ的な感情論丸出しな訳ですが。 まぁ「A級戦犯を絶対に許さない」までならまだ理解できないでもないわけですが「認めない」ときて「死を悼むなどあり得ない」と言いきるわけですね。 まぁ貴様の様な人間は日本人でもましてや愛国者ではない!と言いたいところをぐっと抑えて、もうこの問題は根本的な文化・風習・死生観の違いであるという以外に言いようがありません。 日本には古来から「死んだらみんな神様」と言う風習があるわけで死後は生前の罪を問わない「死者に鞭打つことを恥とする文化」なんですね。 漢奸秦檜・汪兆銘に代表される中国の「死者に鞭打つことを恥としない文化」とは明らかに違う訳です。 この事は町村大臣も >「中国の方は、悪人で死んだ人はあの世に行っても悪人だという死生観を持っている」 >「靖国神社への参拝は中国人民に対する冒涜(ぼうとく)だという議論は、日本人にはすとんと分かったとは言い難い」 と言っている事は去年の日記「【次回協議は平壌で】 ある意味サプライズw 【四国に新リーグ?】」でお伝えしましたが、ちょうどその頃バイト先に新しく入った中国人留学生の方とそう言う話をしたときにも同じ感触でした。 まぁこれも文化の違いなので一概にどちらが良いとは言えないわけですが、例えば先日ひょんな事から5月4日が誕生日だと判明した中国の政治家である汪兆銘氏ですが中国では「漢奸」と呼ばれ、一時はこの様な石像まで建てられて辱められていたそうです。 ちなみに汪兆銘氏は昭和19年名古屋で亡くなり遺体は飛行機で南京に運ばれ梅花山に葬られました。 汪兆銘の妻、陳璧君は後日墓をあばかれ遺体が鞭打たれることを恐れ5トンの鉄筋コンクリートで分厚い墓殻を築いたそうですが敗戦とともに蒋介石の派遣した工兵により墓は爆破され遺体は中国の風習に基づいて蹂躙されたのだった。 「日本文化は恥を知る文化」と言ったのは誰だったか忘れましたが「死者の尊厳を踏みにじることに対する恥」と「死に対する畏敬」と言う概念があるからこそ「死んだらみんな神様」と言う風習があるわけで、例え罪人であったとしても死後は生前の罪を問わない、つまり「死者に鞭打つことを恥とする文化」があるわけですね。 そう言う文化や風習を一切合切無視して彼の言っている「犯罪者かどうかなんか関係ない、俺が憎いと言ったら憎いんだ」と言うのは、他所でも書きましたが 犯罪者は刑事裁判で決められた刑期が終わって、民事裁判で決められた補償が終わっても永久に犯罪者。 その罪が償われることは永久になく、未来永劫被害者の求めるままに謝罪と賠償をしなければならない。 その犯罪者が死んでも、墓に入れて祀るのもいけないし遺族や知人は墓参りに行ってもいけない。 というなんとも非人道的なことを平然と言っていると言うことになります。 「身近な例にあてはめるだけで論理が崩壊するのは詭弁の証拠です」 とよく言いますが、素晴らしくぴったりの例ですね。 こう言う発言は日本の文化では「恥」とされているわけです。 参考リンク ・JOG(140) 汪兆銘~革命未だ成功せず ・戦犯在所者の釈放等に関する決議(1952年6月9日参議院本会議にて) ・戦争犯罪による受刑者の釈放等に関する決議(1952年(昭和27年)12月9日衆議院本会議にて) ・戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議(1953年(昭和28年)8月3日衆議院本会議にて) ・戦争受刑者の即時釈放要請に関する決議(1955年(昭和30年)7月19日衆議院本会議にて) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2005.05.17 04:53:43
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