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徒然日記「多事某論」 楽天支部

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2005.05.30
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テーマ:戦争反対(1190)
カテゴリ:北韓・南朝鮮関連
第60回「バカの壁・再」48(その2)
~河野談話の信憑性~


その1から。

そしてここは重要なところですが

>軍では軍属扱いで、階級は下士官レベルだったそうです。

彼は「軍属」の意味からもう一度よく勉強した方が良いのかもしれません。
本当に彼女ら「所謂従軍慰安婦」が軍属として扱われていたのであれば「戦傷病者戦没者遺族等援護法」の対象になるはずです。
戦傷病者戦没者遺族等援護法(法庫)
第1章 総 則
(この法律の目的)
第1条
この法律は、軍人軍属等の公務上の負傷若しくは疾病又は死亡に関し、国家補償の精神に基き、軍人軍属であつた者又はこれらの者の遺族を援護することを目的とする。
■しかし、寡聞にしてそんな話はとんと聞きません。
この妄言がどの様な資料から導き出されたのかには興味がありますが、字数の都合でいよいよ河野談話とそれに付随する調査報告に関する話題へと進みます。

世間で「河野談話」と言われているものは「慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話(平成5年8月4日)」これですね。
また、それに付属する調査結果が「いわゆる従軍慰安婦問題について(平成5年8月4日)」これになります。

この談話ができるまでにはいつも通りの自作自演があった訳ですがね。
で、経緯を簡単にまとめるとこうなります。

1983年(昭和58年)に吉田清二と言うアカが「私の戦争犯罪・朝鮮人強制連行」(三一書房)と言う本を書きます。
この本の中で、昭和18年に軍命令で「挺身隊」として韓国済州島で女性を「強制連行」して「慰安婦」にしたという体験を発表します。
詳しい内容は

>女工たちは竹かごの中から貝殻を、手早く鉄わくの中へ入れ、足踏み機械を操作すると、一銭銅貨より小さなボタンを同時に十個ばかり作っていた
(略)
>隊員たちがすばやく工場内の二か所の出入り口を固め、木剣の先を突きつけて、女工たちを起立させた。
>「体格の大きな娘でないと、勤まらんぞ」と山田が大声で言うと、隊員たちは笑い声をあげて、端の女工から順番に、顔とからだつきを見つめて、慰安婦向きの娘を選びだした。
>若くて大柄な娘に、山田が「前へ出ろ」とどなった。娘がおびえてそばの年取った女にしがみつくと、山田は・・・・台をまわって行って娘の腕をつかんで引きずりだした
(略)
>女工たちはいっせいに叫び声を上げ、泣き声を上げていた。隊員たちは若い娘を引きずり出すのにてこずって、木剣を使い、背中や尻を打ちすえていた。
(略)
>女工の中から慰安婦に徴用した娘は十六人であった。


とまぁこんな感じだそうです。

ちなみに「従軍慰安婦」という単語を創作したとされる千田夏光の「従軍慰安婦」(1973年)および「続・従軍慰安婦」(1974年)は吉田清治の著作の10年ほど前に出版されていますがさほど話題にはならなりませんでした。
では何故吉田清治が有名になったのでしょうか?
その理由は彼自身が日本全国を飛び回って謝罪講演をし、アメリカにまで渡って日本の犯罪を広め、韓国に謝罪碑を建てたからです。
これによって一躍世論に取り上げられ、渦中の人となりました。

そして、吉田の著書が1989年(昭和64年・平成元年)に韓国語に翻訳されて南朝鮮で出版されます。
これによって一気に南朝鮮で所謂「従軍慰安婦問題」に火がつきます。

しかし、その記述内容に疑問をもった済州新聞の許栄善記者が現地で調査し、1989年8月14日付で同紙に著名入りの記事として下記のような内容の記事を書いています。

>解放四十四周年を迎え日帝時代に済州島の女性を慰安婦として二〇五名を徴用していたとの記録が刊行され大きな衝撃をあたえている。しかし裏付けの証言がなく波紋を投げている。
(略)
>しかし、この本に記述されている城山浦の貝ボタン工場で十五~十六人を強制徴発したり、法環里などあちこちの村で行われた慰安婦狩りの話を裏ずづけ証言する人はほとんどいない。
>島民たちは「でたらめだ」と一蹴し、この著述の信想性に対して強く疑問を投げかけている。城山浦の住民のチョン・オクタン(八五歳の女性)は「二五〇余の家しかないこの村で、15人も徴用したとすれば大事件であるが、当時はそんな事実はなかった」と語った。


済州島の島民が「でたらめだ」と一蹴し「二五〇余の家しかないこの村で、15人も徴用したとすれば大事件であるが、当時はそんな事実はなかった」と語っている訳ですから吉田証言の信憑性は皆無と言ってもいいでしょう。

また、郷土史家の金奉玉氏は「一九八三年に日本語版が出てから、何年かの間追跡調査した結果、事実でないことを発見した。この本は日本人の悪徳ぶりを示す軽薄な商魂の産物と思われる」と憤慨したそうです。
いいですか?
韓国人の郷土史家が「この本は日本人の悪徳ぶりを示す軽薄な商魂の産物と思われる」と憤慨したんですよ?

また、従軍慰安婦問題では度々登場する右翼学者こと秦郁彦氏も1992年3月29日から済州島に渡り実地検証をしています。
秦氏は吉田に連絡をとり「裏付けをとりたいので済州島の慰安婦狩に同行した部下の誰かを紹介して欲しい」と当然のことを頼んだそうですが「本を書く時に二、三人に会って記憶を整理した」ことは認めたが「あちこちから聞かれるが、絶対に教えられない」と拒絶したそうです。

ハッキリ言ってあやしいですね。

そのために秦氏は日付と場所が特定されている済州島の城山浦にいき実地検証をおこなっています。
秦氏の現地調査は海女の研究家でもあり慶応大学出身の康大元氏の通訳によって城山浦の老人クラブで当時四、五ケ所あった貝ボタン工場の元組合員など五人の老人の聞き取り調査を行ったそうですが、許栄善記者の調査結果と同じく吉田証言が虚構らしいことを確認しました。

吉田の著作には慰安婦狩りの命令は「西部軍→山口県知事→下関警察署長→吉田」のラインで来たとしているそうですが、歴史の知識と軍事的知識があればこの様な命令系統は有り得ないと断言できます。
仮に吉田の主張する慰安婦狩りが事実であったとして、歴史的事実として済州島をふくむ朝鮮半島は朝鮮総督府の管理下にあり、朝鮮半島の管轄軍は朝鮮軍です。
よって日本本土の中国地方や九州を管轄とする西部軍(司令部は福岡)が山口県知事や下関警察署長に命令することは有り得ても、その命令によって朝鮮半島に出掛けることは軍隊という組織上有り得ない訳です。

ちなみに吉田がその名を騙って集めたとされる「女子勤労挺身隊」は昭和19年8月23日に公布、即日施行された「女子挺身勤労令(昭和19年勅令第519号)」によって初めて行政用語として登場します。
よって、吉田が済州島に向かった1943(昭和18)年7月には「挺身隊」という語句は行政用語として存在していません。

逆に秦氏は許栄善記者からは「何が目的でこんな作り話を書くのでしょうか」と聞かれる始末だそうな、どっとはらい。

・・・とはなりません orz

運悪く、吉田の妄言が韓国語に翻訳されて南朝鮮で出版された3年後の1992年(平成4年)に日本の総理大臣が訪韓するのですが、その総理大臣の名は宮沢喜一、官房長官の名は河野洋平だったわけですね。

しかも、宮沢訪韓前年の1991年から朝日新聞は従軍慰安婦強制連行に関する一大反日キャンペーンを開始しました。
その中では度々あの吉田の「私の戦争犯罪・朝鮮人強制連行」を取り上げます。
1991年(平成3年)8月11日には社会面トップで「思い出すと今も涙」「元朝鮮人従軍慰安婦 戦後半世紀重い口開く」とのタイトルで「日中戦争や第二次大戦の際、女子挺身隊の戦場に連行され,日本軍人相手に売春行為を強いられた朝鮮人従軍慰安婦のうち、一人が」名乗り出たと報じます。

そしてついに運命の時、1992年(平成4年)を迎えます。

朝日はこれまでの従軍慰安婦強制連行に関する一大反日キャンペーンの総仕上げとして宮沢訪韓の僅か五日前の1月11日、朝日新聞は、一面トップで「慰安所、軍関与示す資料」、「部隊に設置指示 募集含め統制・監督」と報道します。
これで慰安婦狩りに軍の関与を示す証拠があったと確信させてしまいますが、実はこの資料は「強制連行が起こらないように軍が関与した」と言う資料だったんですね。

こうして、吉田がつき、朝日がこねた反日餅が韓国へと投げられ、囂々たる反日デモの嵐が吹き荒れる韓国に行った宮沢総理は首脳会談で謝罪6回反省2回の言質を与えてしまい、帰国後の真相究明を約束します。
この時の外務省担当者に「慰安婦の何に対しての謝罪と反省なのか」と問うた西岡力氏は「これから調査する」「あの人たちが酷い目にあったのは事実だから」と言う驚くべき答えを聞かされたそうです。
つまり、何に対する謝罪で、何に対する反省なのかも確認せずに謝罪6回反省2回の言質を与えたのです。

もし相手がいかに怒っていても事実関係を確認できないのであれば「仰る趣旨は理解しました、帰国後速やかに事実関係を確認します」が尤も国益を損なわない回答ではないでしょうか?
まぁ、そんな事すら理解できないモーロクジジイだったわけですね。
ちなみに、かの有名な「侵略→進出書き換え大誤報事件」の時の官房長官も宮沢です。

宜なるかな。

さて、帰国した宮沢総理はあわてて約束した真相究明をはじめますが強制連行の事実など探せど探せど一向に出てきません。
当たり前ですね。

で、当然の如く半年後の第一次調査結果では「強制連行を裏付ける資料は見つからなかった」と発表します。
何度も書きますが当たり前ですね。

しかし、韓国政府は吉田証言を元に「中間報告書」という形で「んなことないニダ!」と反論、宮沢内閣は今更になって謝罪6回反省2回の言質に苦しむ訳です。
繰り返しになりますが、「仰る趣旨は理解しました、帰国後速やかに事実関係を確認します」であれば「強制連行を裏付ける資料は見つかりませんでした」でもいいわけです。

で、話の笑点・・・もとい焦点は「どこを落とし所にするか」と言う話になってきます。


字数の関係でその3へ続く





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Last updated  2005.06.09 15:43:13
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