テーマ:戦争反対(1190)
カテゴリ:「バカの壁」シリーズ
~無知だからアカなのか、アカだから無知なのか~ ■え? >最初からA級戦犯が合祀されていたのかと思ったら、1978年から合祀されたと言う。今まで知らなかった。驚きました。 >当時の神社総代会のメンバーにA級戦犯東条英機の元閣僚がいて、合祀しないと東京裁判を認めることになると発言し、合祀となったとか。 >国内法でA級戦犯にも恩給だか年金がでるようになった事にも乗ったようだ。 ・・・(゚Д゚ )ハァ? >最初からA級戦犯が合祀されていたのかと思ったら、1978年から合祀されたと言う。今まで知らなかった。驚きました。 こんな基本的なことも知らずに靖国批判してたんですか? >当時の神社総代会のメンバーにA級戦犯東条英機の元閣僚がいて、合祀しないと東京裁判を認めることになると発言し、合祀となったとか。 >国内法でA級戦犯にも恩給だか年金がでるようになった事にも乗ったようだ。 違います、合祀に至る経緯はこうです。 確かに当時は各種戦犯の国内での扱いに関しては国内法上の受刑者と同等に扱われており、遺族年金や恩給の対象とされていませんでした。 しかし、1952年(昭和27年)に木村篤太郎法務総裁から戦犯の国内法上の解釈についての変更が通達され、 戦犯拘禁中の死者→公務死 戦犯逮捕者→抑留又は逮捕された者 として取り扱われる事になりました。 これにより1952年(昭和27年)4月施行された「戦傷病者戦没者遺族等援護法」も一部改正され、戦犯としての拘留逮捕者について「被拘禁者」として扱い、当該拘禁中に死亡した場合はその遺族に扶助料を支給する事になり、戦犯刑死を公式には「公務死」とし、一般に「法務死(靖国神社では昭和殉難者)」と呼ぶそうですね。 その後 「戦犯在所者の釈放等に関する決議」(1952年(昭和27年)6月9日参議院本会議) 「戦争犯罪による受刑者の釈放等に関する決議」(1952年(昭和27年)12月9日衆議院本会議) 「戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議」(1953年(昭和28年)8月3日衆議院本会議) 「戦争受刑者の即時釈放要請に関する決議」(1955年(昭和30年)7月19日衆議院本会議) などの国会決議を決議し、A,B,C級戦犯の名誉は実質的に回復されました。 靖国神社は「戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議」を受けて全ての戦犯が「赦免」されたと言うことでA級戦犯を合祀したんです。 なお、この戦犯赦免運動に当時としては極めて異例の四千万通の署名が集まった事により国会で戦犯赦免決議が採決されました。 戦犯の赦免は当時の国民の総意だったんです。 書きかけ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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