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2005.07.03
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テーマ:戦争反対(1190)
第67回「バカの壁・再」55(その1)
~中国『遺棄』化学兵器問題考~


中国の遺棄化学兵器について 2005年07月04日 13時51分21秒 (kimdongsungさん)
最近、中国との間で日本が過去に使用した化学兵器による事故で被害者が出ています。

中国毒ガス事故:旧日本軍の遺棄化学兵器 外務省認める
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/jiken/news/20050627k0000m040131000c.html

中国大陸を軍靴で踏みにじり、少なくとも423回にわたって毒ガスを使用し、3万3000人以上の兵士・民間人を殺傷し、正規戦では1668回の使用で4万7000人以上を殺傷し、6000人を死亡させたのです。とても悲しく、また恥ずかしい事です。(「アジア太平洋戦争」森武麿著、集英社から引用)
私は、残存する毒ガス兵器を日本が責任を持って処理するのは、倫理的にきわめて当然のことと思います。こうした数字も中国側の発表がベースなのかもしれませんが、歴史的な犯罪行為に対して日本政府が十分な調査をしてこなかったことが問題とも考えられます。


(後略)
■暫く大人してたかと思ったらまた沖縄の件に続いてアホなことを言い出しました。


>中国大陸を軍靴で踏みにじり、少なくとも423回にわたって毒ガスを使用し、3万3000人以上の兵士・民間人を殺傷し、正規戦では1668回の使用で4万7000人以上を殺傷し、6000人を死亡させたのです。とても悲しく、また恥ずかしい事です。(「アジア太平洋戦争」森武麿著、集英社から引用)

ソースが「アジア太平洋戦争」と言う時点である種のバイアスがかかっていると疑うべきでしょう。

日本軍が中国大陸で毒ガスの使用については
【質問】 日本軍は中国戦線では毒ガス兵器をどのくらい使用したのでしょうか?(軍事板常見問題)
【回答】
 (前略)
で,1937年7月27日に華北へ,「第一野戦化学実験部」が派遣され,日中戦争に於いて,毒ガス戦がスタートします.
森松俊夫監修・原剛解説 『「大本営陸軍部」大陸命・大陸指総集成』第三巻、エムティ出版、1994年、223~224pに記載されている,
1938年12月2日付、閑院宮載仁参謀総長より杉山元北支方面軍司令官などに発せられた「大陸指第345号」
によれば,
「在支各軍ハ特種煙(あか筒※・あか弾・みどり筒)ヲ使用スルコトヲ得
但之ガ使用ニ方リテハ市街地特ニ第三国人居住地域ヲ避ケ勉メテ煙ニ混用シ厳ニ瓦斯使用ノ事実ヲ秘シ其痕跡ヲ残ササル如ク注意スヘシ」
とあります.訳しますと、
「中国にいる日本軍は、あか筒・あか弾(ジフェニ-ルシアンアルシン)・みどり筒などの特種煙(毒ガスのこと)を使用してもよい。
 ただし、毒ガスの使用にあたっては、市街地、特に第三国人(アメリカ人やイギリス人・ドイツ人など日本人・中国人以外の国民)の居住地域を避け、できるだけ煙に混用し、厳に毒ガス使用の事実を秘し、その痕跡を残さないように注意しなさい」
という意味になろうかと思います。

この毒ガス使用が停止されるのは,1943年6月に米国大統領からの警告(毒ガスを使用し続けるのなら,米軍は日本軍に対しても同じ方法で報復する)があってからです.

1937~38年までは実験期,1939~43年までは本格使用期です.
前半期には,催涙性の「みどり」(塩化アセトフェノン),嘔吐剤の「あか」(ヂフェニル青化砒素)が主に使用されています.
使用状況は,1938年に発行された教育総監部「事変の教訓」第5号,第7号(化学戦の部)に詳しいです.
なお,「きい」と言われた糜爛性のイペリット,ルイサイトですが,これらが用いられるようになったのは後半期で,1942年の陸軍習志野学校編「支那事変ニ於ケル化学戦例証集」に使用例が収められています.


(略)

中国側には国民党,八路軍共に化学戦能力など殆どなかったため,少数使用でもかなりの成果を上げたようです.

(後略)
■という感じだそうな。

まぁ公刊戦史等を引用してくるならともかく、タイトルからして怪しいソースを鵜呑みにしてしまうリテラシーはとても悲しく、また恥ずかしい事です。


>私は、残存する毒ガス兵器を日本が責任を持って処理するのは、倫理的にきわめて当然のことと思います。こうした数字も中国側の発表がベースなのかもしれませんが、歴史的な犯罪行為に対して日本政府が十分な調査をしてこなかったことが問題とも考えられます。

・・・(゚Д゚ )ハァ?

>私は、残存する毒ガス兵器を日本が責任を持って処理するのは、倫理的にきわめて当然のことと思います。

残存する毒ガス兵器ってあんた日本製以外もですか?
そう主張するんであれば、後述しますが根本的な知識が不足している恐れがありますが・・・。

この問題の最大の争点は「日本製であるか否か、遺棄化学兵器であるか否か」の二点ですね。

そもそもの問題の始まりは1945年8月15日にポツダム宣言を受託した事に端を発します。
そのポツダム宣言には

>九 日本國軍隊ハ完全ニ武装ヲ解除セラレタル後各自ノ家庭ニ復歸シ平和的且生産的ノ生活ヲ營ムノ機會ヲ得シメラルベシ
(「ポツダム」共同宣言)

と、日本軍に対する完全な武装解除が書かれており、これに基づき日本軍は各地で連合国側の武装解除を受けています。
ここで重要なことは武装解除された武器弾薬等は接収側の連合国の所有・管理下に入り日本側の所有権・管理権は及ばなくなったのです。

武器を引き渡した相手については、中国大陸の支那派遣軍約百万においては蒋介石の国民党軍、満州の関東軍約五十万はソ連軍に、朝鮮半島の朝鮮軍は38度線より北側はソ連軍、南側は米軍に引き渡したものと思われます。
また中国大陸の一部においては共産党軍の武装解除を受け引き渡した例もあるようです。

これらの武装解除は終戦から僅か2ヶ月後の1945年10月16日までに完了し同日にはGHQ総司令官マッカーサー元帥が「日本軍武装解除完了声明」を発表しています。
終戦時日本本土以外に約350万の兵力があったとされ、更に本土に同数程度の兵力があったとされていますが、これら700万兵士の武装解除が僅か2ヶ月程度で完了したこと、また西村慎吾代議士のホームページの「慎吾の時事通信」平成15年9月30日号によれば、西村事務所の秘書の方が防衛研究所で台湾派遣軍と海軍の作成した詳細な武器引渡しリストを入手したそうです。
そこには毒ガス弾を何発引き渡したと記載されていたそうですから、他の日本軍も部隊ごとに武装解除を受けた際には詳細な武器引渡しリストを作成して整然と引き渡し武装解除を行ったため2ヶ月で終えることができたと考えるのがもっとも合理的ではないでしょうか。

また、中国大陸の特殊な事情としては日本軍降伏後の中国では国共内戦が本格化し国民党・共産党共に日本軍の武器を必要としていた-中共軍に至っては後の朝鮮戦争まで旧日本軍の武器を使用していたとする資料もある-から武装解除と武器引渡しは短時間に行われた可能性が高いでしょう。

と言うことで、前述のように支那方面軍は国民党軍に、万里の長城以北の在満関東軍はソ連軍に武装解除され武器弾薬の一切の所有権・管理権は接収側に移ったのです。

また、ソ連側の武装解除の際に接収された武器弾薬についてはこう言う記述があります。
大紀元社説シリーズ『共産党についての九つの論評』(大紀元日本)
【第二評】中国共産党はどのようになり上がったのか
二 中国共産党の不名誉な歴史
(八) 三年の内戦――売国奪権
(前略)
 1947年から1948年の間、「ハルビン協定」と「モスクワ協定」をソ連と結んだ。ソ連に国の権益と東北の資源を売り、その見かえりとして、ソ連による中共の外交上と軍事上の全面支持を得た。協定では、ソ連が中国共産党に50機の飛行機を援助、敗戦した日本軍の武器を二回にわけてすべて提供すること、ソ連のコントロール下にある東北の弾薬や軍用物資も安い値段で中共に提供すること、国民党が一旦東北へ上陸作戦を敢行したら、ソ連と中共は秘密裏に共同して中共の作戦を進めること、新疆(しんきょう)制陸権奪取において、ソ連は中共を援助し、中ソ連合空軍を樹立し、11個師団規模とすること、米国がソ連に提供した130億米ドル相当の武器の三分の一をソ連が東北に運ぶこと、またソ連の支持を取り付けるため、中共がソ連に東北の陸路と空路の通過権を与えること、国民政府と米軍の動向を通報すること、東北の物産、綿花、大豆、その他の戦略物資をソ連に提供して武器と交換すること、ソ連が中国の鉱物資源開発優先権を持つこと、東北と新疆への進駐権、中国でのソ連極東情報局設立権を持つこと、ヨーロッパで戦争が勃発した場合、中共が10万の援軍と200万の労働者でソ連を支援すること、このほか中共は遼寧、安東省特別区を適当な時期に朝鮮に併合させることなどを承認した。
■信憑性についての裏は取れていませんが、真実だとすれば驚くべき記述です。
つまり、中国大陸で武装解除により接収された兵器のほぼ全量はソ連側により中国大陸に残置され国共内戦で使われたと言うことになります。

まず支那方面軍の持っていたであろう化学砲弾の所有権と管理権は武装解除の際に接収した国民党軍に移ります。
これが遺棄されたのであれば責任は国民党軍かもしくはそれを接収した共産党軍にあると言うことですね。

次に関東軍が持っていたであろう化学砲弾の所有権と管理権は武装解除の際に接収したソ連軍に移ります。
そして「ハルビン協定」と「モスクワ協定」により共産党軍に移るというわけですね。
これが遺棄されたのであれば責任は共産党軍にあると言うことですね。

と言うことで結局のところ最終的に責任は共産党軍に行き着くわけです。

しかも同協定によりソ連製武器も共産党軍に渡されているとされています。
ここで「なんで日本製化学砲弾とソ連製が一緒に発掘されるのか?」と言う疑問が氷解するわけですね。
答えは簡単「日本軍が遺棄した化学兵器ではないから」と言うことになります。

いつもの如く字数の関係でその2へ続く





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Last updated  2005.07.05 04:53:04
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