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2005.07.24
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テーマ:戦争反対(1190)
第73回「バカの壁・再」61(その4)
~中国『遺棄』化学兵器問題再々々考~


その3からの続き。

ちょっと状況は違うが「軍隊生活全貌」には相桂作戦で負傷して野戦病院に入り、退院したのち零陵から全県まで原隊を追求して全県でまた野戦病院に入院し零陵野戦病院~漢口陸軍病院と後送されて終戦を迎え上海から復員した人の記録があるがとても興味深い。

更に終戦時湖南省の衡州いた第116師団衛生隊の奥村由三氏は武装解除についてこう書いている。
私の終戦余話一 「武装解除」(元百十六師団衛生隊(嵐六二二九部隊) 奥村 由三)
 彭家冲に到着した直後、師団命令により、兵器類を中国側に引渡す、つまり武装解除が行われた。十月四日私は池井中尉転出後、空席となっていた兵器係の代理として、脇田衛生軍曹を通訳にして、各隊より兵器、弾薬一切を携行させ、彭家冲の西北約六粁洞庭湖畔にある、鹿角市に赴いた。鹿角市には歩兵一二〇聯隊が宿営していたが、中国側より接収部隊が来ており、隊長は第一八師の張中佐と言った。
敗戦の現実を思い知らされる最もつらい役目であったが、出発する時、員数外にしておいた部隊長のコルト式拳銃一挺と新しい長靴に拍車もつけて、張中佐への部隊長からの賜り物として持参していた。心配していたが、なんとかうまく張中佐に手渡すことが出来、張中佐は非常に喜んで井村部隊長へ謝意の伝言の依頼があった。
兵器などに若干の員数不足があったが、黙認してくれて無事移譲の手続きを終えることが出来た。山と積まれて行く兵器類を見て、こみあげて来る悔しさをおさえるのに困った。此のあと自衛用として軽機関銃一挺を含め、一コ分隊分の小銃、弾薬を要請したのに対し、心よく応じてくれ、改めてこれらの、兵器を受取って帰隊、無事大役を果たすことが出来、肩の荷を降したものであった。
此らの兵器が彭家冲駐留期間中、住民に対する無言の威力となっていたのであった。
■ここに武装解除の光景が書かれていますね。
しかし、自衛用の武器の携行まで許すとは非常に円満な武装解除ですね。

まぁこれらの数々の状況を総合すれば支那派遣軍は少なくとも最後まで軍隊としての建制は保たれていた訳で、ソ連侵攻を受けて全滅を賭して勇戦敢闘する前線部隊ととっとと敗走する主力という関東軍とは違いだと言うことだ。
むしろ、大陸の支那派遣軍は台湾の台湾軍とほぼ同様の状況にあり、整然と武装解除に当たったと見るのが合理的な推測だと言っているんだよ。
関東軍の状況については
戦史叢書・関東軍〈2〉(466~467ページ)
関東軍の降伏

昭和二十年八月十九日、関東軍総参謀長秦彦三郎中将は、作戦主任参謀瀬島龍三中佐、ハルピン在勤の宮川日本総領事を帯同し、ジャリコーウォのソ連極東第一方面軍司令部において、極東軍総司令官ワシレフスキー元帥を首班とするソ連軍首脳と停戦交渉を行った。秦中将は関東軍の一般状況を説明した後、特に「日本軍の名誉を尊重されたいこと」「居留民の保護に万全を期せられたいこと」の二件を強く申し入れ、ソ連側の快諾を得、この日相互の間に次のような協定が成立した。

1、武装解除に際し都市等の権力も一切ソ連軍に引き渡す。

2、後方補給のため、局地的のものを除き、軍隊、軍需品の大なる移動は行わない。

3、日本軍の名誉を重んじ、軍人に階級章を付し、また帯刀(剣)を許可するほか、武装解除後も将官に副官を付し、かつ将校全部に当番兵の使用を認める。

4、満内の要地に対しては、ソ軍の進駐まで日本軍が警備を担任し、ソ軍の進出後日本軍は自体の武装を解除する。

5、関東軍総司令部は全軍隊の武装解除後解体する。この間、通信機関、連絡のための飛行機、自動車の使用は支障なく、また要求ある場合ソ軍の飛行機を貸与する。

6、武装解除後の日本軍隊の給養は自体において実施する。食糧運搬の自動車使用及び給養定額は概して現在どおりとする。

7、略

右に見るごとく、ソ軍の首脳の交渉態度は極めて理解があり、協定も満足すべきものであった。しかし現実に我が軍に接触したソ軍は右協定を一顧だもせず、各方面とも無統制に武装解除を実施し、殊に交通通信を寸断し、かつ入ソのための作業大隊編成の際早期に在来の我が各編合部隊の指揮組織を破壊したので、関東軍はその意図した秩序ある停戦、武装解除が不可能となり、部隊の掌握さえも困難になったほか、殊にソ軍側において日本軍の手による戦場地域の整理を頑強に否認したため、死傷者の収容加療、行方不明者の捜索その他戦闘後の後始末は全く実施することができなかった。
■と言う記述が公刊戦史にある。

>現実に我が軍に接触したソ軍は右協定を一顧だもせず、各方面とも無統制に武装解除を実施し、殊に交通通信を寸断し、かつ入ソのための作業大隊編成の際早期に在来の我が各編合部隊の指揮組織を破壊したので、関東軍はその意図した秩序ある停戦、武装解除が不可能となり、部隊の掌握さえも困難になったほか、殊にソ軍側において日本軍の手による戦場地域の整理を頑強に否認したため、死傷者の収容加療、行方不明者の捜索その他戦闘後の後始末は全く実施することができなかった。

どっちが整然たる武装解除を邪魔したのか見たら分かるよな。

まぁ、所詮君のは上辺だけの浅知恵だ。


参考資料
遺棄化学兵器に関する資料





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Last updated  2005.07.26 23:09:00
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背番号のないエース0829@ Re:【対馬丸】 「外間邦子」に上記の内容について、記載…
RENOU@ 再確認 反日な人たちは無知で反日やってるっての…
ナナシィ1190@ 流石 >もし、私が、ある国と私の考えが違う、…

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