第81回「バカの壁・再」69(おまけ)
~国立追悼施設調査費計上見送り~
<天皇陛下>72歳の誕生日 「過去への理解が大切」 2005年12月23日 (毎日新聞) 問
この1年、国内外でさまざまなことがありました。陛下は病の治療を続けられながら、戦後60年にあたってサイパンを慰霊訪問されるなど、数多くの公務に取り組まれました。初めての海外での慰霊についてのお気持ちや、かの地で感じたこと、今後の慰霊のあり方、次世代の継承などについて陛下のお考えをお聞かせ下さい。
答
先の大戦では非常に多くの日本人が亡くなりました。全体の戦没者310万人の中で外地で亡くなった人は240万人に達しています。戦後60年にあたって私どもはこのように大勢の人が亡くなった外地での慰霊を考え、多くの人々の協力を得て、米国の自治領である北マリアナ諸島のサイパン島を訪問しました。
そこにはこの地域で亡くなった戦没者のために国が建てた中部太平洋戦没者の碑があります。ドイツ領であったサイパン島は第一次世界大戦後、国際連盟により日本の委任統治領となり、多くの日本人が移住し、砂糖産業や農業、漁業に携わっていました。昭和19年6月15日、米軍がサイパン島へ上陸してきた時には、日本軍はすでに制空権、制海権を失っており、大勢の在留邦人は引き揚げられない状態になっていました。このような状況下で戦闘が行われたため、7月7日に日本軍が玉砕するまでに陸海軍の約4万3000人と在留邦人の1万2000人の命が失われました。
軍人をはじめ、当時島に在留していた人々の苦しみや島で家族を亡くした人々の悲しみは、いかばかりであったかと、計り知れないものがあります。この戦闘では米軍にも3500人近い戦死者があり、また900人を超えるサイパン島民が戦闘の犠牲になりました。また、この戦闘では朝鮮半島出身の人々も命を落としています。この度の訪問においてはそれぞれの慰霊碑にお参りし、多くの人々が身を投じたスーサイドクリフとバンザイクリフを訪れ、先の大戦において命を落とした人々を追悼し、遺族の悲しみに思いをいたしました。61年前の厳しい戦争のことを思い、心の重い旅でした。
ただ高齢のサイパン島民には、かって日本の移住者が島民のために尽くしたことを今も大切に思っている人がいることはうれしいことでした。私どもが島民から温かく迎えられた影には、かっての移住者の努力があったことと思われます。このたびのサイパン島訪問に携わった日本側の関係者はじめ米国側、ならびに北マリアナ諸島側の関係者に深く感謝しています。日本は昭和の初めから昭和20年の終戦までほとんど平和な時がありませんでした。この過去の歴史をその後の時代とともに正しく理解しようと努めることは日本人自身にとって、また日本人が世界の人々と交わっていくうえにも極めて大切なことと思います。
戦後60年にあたって、過去のさまざまな事実が取り上げられ、人々に知られるようになりました。今後とも多くの人々の努力により過去の事実についての知識が正しく継承され、将来に生かされることを願っています。
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Last updated
2005.12.24 19:44:38
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