母の日に
ストアの花売り場を、とりどりの色彩にラッピングされた鉢植が飾りはじめて一週間になる。きょう14日が母の日だった。 朝のことである。 開店してすぐに、ひとりのおんなの子が花売り場に立った。小学2,3年生だろうか。短いスカートの下に小枝のような足がのびている。頬を赤くそめ、やがて思慮深げに鉢植を選びはじめた。ビーズを縫いこんだちいさながま口をにぎりしめている。 上段におかれた大きな鉢をみた。それは数千円の値がつけられているのである。中段、そして下の棚…。おんなの子はちいさくため息をついた。 花売り場のすぐ前がストアの入り口である。そこにもカーネションの鉢が並べられていた。どれも両掌にのるほどの大きさである。そのなかのひとつをかの女はえらびだした。短くカットされた赤いカーネションの周囲にマーガレットに似た白い花をあしらった鉢だった。なかに陶製の立て札がさしてある。札には『おかあさん いつもありがとう』と書かれているのである。おんなの子はしばらくみつめていたが、意を決して値札をみた。その顔が輝いた。 レジをさがすかの女に、わたしは声をかけた。―あそこのサービスコーナーできれいに包んでくれるからね かの女はちいさくうなずいて、カーネーションをそっと胸にかかえた。 母に贈りものをするために、あの子はどれくらいのあいだお小遣いをため続けたのだろう。そう考えて胸がつまった。 芥川龍之介に『蜜柑』という短編がある。 龍之介は帰京の汽車で、あかぎれに手を腫らした少女と相席になる。汽車があるトンネルにはいってまもなく、少女がいきなり窓をあげた。車内に煙が満ち、龍之介は不快をかくさない。トンネルを出てまもないところに踏切があった。そこに幾人かの(3人だったか)おとこの子が立っていた。どの子も灰色の空に射竦められたようにちいさい。汽車が近づくとかれらはいっせいに手をふり、声にならない歓声をあげた。そのとき、少女がやにわに窓から上半身をのりだしたのである。そして両の手で、空へなにかを投げた。蜜柑であった。刹那、龍之介はいっさいを了解する。都会へ奉公に出る姉をはるばると見送りにきた弟たちの労に報いるために、少女は蜜柑を与えたのだった。 原点ということばは好きじゃないけれども、ここが原点なのだ。なにもむつかしいことはない。究竟、社会や政治というのは、上のようなこどもたちを幸福にするために、そのためにのみ存在するのである。