24歳
3月25日で24歳を迎えましたぶらびです。20代もそろそろ折り返し地点が見えてきた~。今年の3月の末は、激動の時だった。私は自らの意思で、人生のレールをねじまげてやったのです。昨年に契りを交わした婚約を、破棄しました。実はずっと、結婚することに対して、モヤモヤとした気持ちをぬぐいきれないでいた。でも、もう何もかもが億劫で流れに身を任せていたので、深く考えず、ぼーーっとしている間に時間だけがたっていった。けど、やっとここにきて、答えが見えたんよね。自分の理想像とか、自分のやりたかったこととか。ある時から、急に見えはじめてきた。そして、「このまま結婚したらきっと離婚するな」と察したが早いか、その日から行動を起こした私。相談できそう人に片っ端からアポをとり、話を聞いてもらって、意見を聞いた。そしてまた、自分でも毎日毎日考えた。「今度こそハッキリさせよう。自分がどうしたいのか。」と。3年前、恋人を亡くすというめちゃくちゃヘコむ出来事があってから、自分が自分の主人になることから逃げてきた。軽度だったとはいえ“うつ病”という、全く未知なる最低サイアク体験をしたけど、もうあとは自分次第、というところまでは、もう早い段階で漕ぎ着けていたんだと思う。しかしそこから浮かび上がる手段もまた、未知なる経験。他人の力を頼りに生きてきた私は、こればっかりはいろんな人に相談しても共感を得ることは期待できず、どうしていいかわからず、わかろうと特に行動することもせず、ウジウジだらだらと、ただ時の流れに身を任せてきた。でも実は、ただ時の流れるままにだらだらと過ごすことこそが、自分にとってすっごいプレッシャーで、重荷で、ストレスやったんやね。人生に責任を負うことは、恐ろしくて、めんどくさい。でも、現実に目をつむって、時間の経過に引きずられるように生き長らえるのは、それよりずっとはるかに脅威やったんや。「できない難しいこと」じゃなく、「できる簡単なこと」を大切にする。ある病気をきっかけに引きこもりになり、何もかもにやる気を失っていた男性がいた。しかし彼はセラピストとの約束をし、「トイレのスリッパをそろえる」ことだけは必ず実行することにした。一週間後、「コレだけでは物足りない」と、彼はセラピストに言ってきた。また新しい課題を決め、実行していった。そんなことを繰り返して、半年後。彼は、営業の仕事に見事復活したそうだ。できないことにばかり心を注いでしまうメンタリティから、「この状況にあって、何ならできるのか?」と考えられるメンタリティに変えること。これが重要。スリッパを揃えることから、社会復帰をするなんて、とんでもなく長い道のりに思う。確かに、長い道のりではある。しかし、実はこれが一番の近道なのだ。なぜか。「できないこと」に無駄なエネルギーを浪費しないということは、寄り道をしないということだから。自分の全身全霊を「できること」に注ぎ、「ないもの」にエネルギーを無駄遣いしないなら、実際、目標の実現は思ったよりもずっと早く訪れるもの。成長の速度は、なかなか目に見えた進歩が感じられないけれど、継続するにつれて速度は加速していくのだ。・・・という、最近読んで劇的に影響を受けた本の抜粋です。うちは、以前とは意識と方向性は変わった。でも、弱くて甘っちょろくて億劫がりで常に逃げ腰な自分は、まだ全然変わってない。ちょっと気を緩めると、「もうダラダラでなあなあに過ごしてしまえよ、前向くのめんどくせーじゃん」という悪魔的な自分が誘惑してくる。負けそうになるけど、でも、後ろ向きのに世界には地獄が広がってることは、身をもって経験した。あきらめたら、また同じ事を繰り返すだけや。また寝ても覚めても闇の日常を彷徨うんや。そっちの方がもっと怖い。なぜなら、自分と向き合い、惰性で過ごさない今の方が、断然開放感にあふれ、すがすがしいから。・・・なのに、それでもまた元に戻ろうとする自分。人間って、そういうふうにできてるらしい。人間の潜在意識が新しい経験を恐れて、元にあった通りに戻ろうとするんやって。3年間そういう非理想的な時間を過ごしてきたわけやから、強い意識を持たなくても、自然と自分の人生に責任を負えるようになるには、それぐらいか、それ以上の時間はかかるやろう。しかし、自分には理想がある。ささやかやけど夢もある。24歳の自分は、“自由”になろう。他人に流されず、自分の意思で選択できるようになりたい。できることをやる。細くてでもいいから、とにかく長く、ね。