|
カテゴリ:上海生活
ご承知の通り、5月12日、中国の四川省で大地震があり、本当に多くの命が失われた。ニュースを見るたび、話題に上るたびに心が痛む。
今のところ、死者の数は7万人。それは私の故郷の人口と同じだが、まだまだ2倍、3倍と増えるだろう。被災者の数はフィンランドの人口の520万人とほぼ同じだそうだ。一つの国の人口と同じだけの人が家を失って不自由な生活を強いられている。本当に気の毒なことである。 私たちも何か出来ることからしようと思い、月曜日から大きな箱に服やブランケットを詰め始めた。子供たちは惜しげもなく自分の服を差し出すのだが、「それかわいいのに」「去年買ったばかりなのに」と言って服を箱から取り出す母・・・。危ない危ない、せっかくの子供たちの善意を無にしてしまうところだった。そうだよね、もっと必要としている人たちがいるのにね。 ちょうど衣替えの時期だったのも手伝って、箱は埋まった。あとはドロップオフポイントに持っていくだけ。自分たちはココまでしかしないけど、この後被災地に届けるまでをしてくれる団体が上海にはたくさんあるっていう事がわかった。その方たちの働きにも本当に感謝している。 災害は大きな悲劇をもたらすけど、違った意味で得るものが多いのも確か。これを機会に、中国は大きな変化を遂げるのではないかと期待している。 ・・・以下は主人から仕入れた地震の話・・・ 地震1 日本人の油断 上海も揺れたらしいが、私は赤ちゃんを抱っこしてて自分が揺れてたので全然気づかなかった。その日は夫からの電話で始めて地震を知った。 夫はわずか5km程度はなれたオフィスで働いており、地震があったときはエレベーターの中にいたそうだ。かすかに横揺れして奇妙な音をたてるので、エレベーターの調子がおかしいのかと思ったという。ところが、エレベーターの扉が開いた瞬間、群集が一斉にエレベーター前を横切って非常階段へ向かっていったので地震だったとわかったそうだ。同じフロアにいる日本人によると、揺れはわずか震度3程度で、当然ながら日本人で避難する人はいなかった。オフィスには日本人とわずかな人数の中国人が残るだけで、9割方の人は逃げてしまっていたそうだ。周辺のビルからも人々が歩道に出て、約30分程度は様子を伺っていたという。地震に慣れた日本人にとっては、過敏な反応に映ったらしい。 しかし、ここは中国。建物は日本の建築基準では建てられてはいない。中国人の反応のほうが実は正しかった。四川省の小学校でも先に逃げ出した人は助かったという。慣れというものに、後からゾッとした。 地震2 心一つとなった瞬間 四川の大地震発生から1週間後の19日、国家はこの日を哀悼の日に定め、全国で地震発生の午後2時28分に3分間の黙祷をささげた。 主人の会社ではこの時間帯に合わせて、数百人を収容するホールで集会がもたれた。ここに参加した人によると、信じがたい神妙さを目にしたという。3分の黙祷が始まる7分ほど前に会場に行くと、既にきっちり整列した人たちが一切の私語なく沈黙していたそうだ、つまり黙祷が終わるまでの約10分間、話し声はもちろん、携帯電話で話す人も、メール着信音さえ一切なかったという。集会に出席すること以外、誰に何を指示されたわけでもないのに。通常ならVIPがいても、そんな状況はありえないという。その時間帯、電話番でオフィスにいた主人は、窓から街の様子をうかがった。黙祷が始まると街中にサイレンが鳴り響いた。歩道を歩く人は全て歩みを止めて黙祷をし、車道を走る車も全て止まったそうだ。 中国は個人主義の傾向が強いといわれるが、この瞬間に中国人は心を一つにした。 オリンピックのボイコット騒ぎ、そして震災に見舞われることによって、中国人の間では今非常に強い協調心が生まれ始めているのではないか・・・とは、主人の談。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008年05月24日 03時52分54秒
コメント(0) | コメントを書く
[上海生活] カテゴリの最新記事
|