暑いと分かっていても口をついて出てくる8月が終わると、
雨が降るごとに冷やされるように気温が下がっていくのを感じます。
連日のニュースの案件は北朝鮮の情勢と議員のスキャンダルの2本立てです。
北朝鮮情勢に関しましては、わが国は独自路線は最初からありませんし、
アメリカと一蓮托生の道しかありません。
もちろん、アメリカが一蓮托生などとは1mmも思っていませんので、
いつものように資金拠出を行い何処にも有難がられない何時ものパターンでしょう。
この事はもう一つのスキャンダルのお祭り騒ぎの国民性に根ざすと考えます。
国会議員の仕事は立法と税金の予算の立案並びに執行と監視が仕事です。
スキャンダルは、仕事と関係なく、問題は当事者同士の配偶者間で決めるべきであり、
有権者として判断材料にするしないは当該選挙区の有権者が考えれば良いだけで、
今回のスキャンダルの矢面になった議員の問題は一年前に発覚した、
元秘書の経費詐称による不正経理の問題であり、
この事は国庫からの支出になりますので、いわゆる税金泥棒と言われる問題です。
今年の流行語になりそうな暴言議員のありようにしても同様で、
被害は当該議員の秘書であり、同情の極みではあるのですが、
議員が違法行為や不正支出に関わったと言う事ではなく、
むしろ問題の突端である個別に挨拶カードを配った事を責められなければなりません。
わが国の国民性が非常に感情的で物事の本質に向き合う前に
脊髄反射のように事の成否が定かでないにも関わらず、
相手が抵抗できない事が分かると必要以上に攻撃を繰り返し、
「水に落ちた犬を打つ」と言う恥ずかしい行為も繰り返されます。
私は平成7年の松本サリン事件の時に、
報道内容をそのまま信じて容疑者が犯人だろうと考えてしまいました。
結果、警察の非民主的な捜査内容が明らかになり、片棒を担いだ事に思えて、
この事件以降、怪しむと言う事が正しい事なのかしっかり考え、
流される事なく自らが発信源にならないように気をつけて過ごす事にしています。
少なくとも、本質が理解できて自らの本分をわきまえる事が出来るのなら、
アメリカをはじめ、諸外国とわが国の立ち位置もしっかりしてくるはずで、
簡単に流されたり、本質を見失なうことなく正しい選択が出来るようにならねばなりません。
よくマスコミ批判を目にしますが、しっかり片棒を担いでいる事に他なりません。
マスコミも政治家もその国の国民のレベル以上にはなりえない事だと言う事です。