だめな自分を愛し
私は、人と付き合うのが苦手なので、外に出て何かしようとすると、気持ちが空回りしてしまい具合が悪くなります。たいていのことは道具が揃えばなんでもできますから、家で主婦をしている分には困りませんが、一般社会での生活には適応できません。いまでは教育者たちも、口々に個性を重んじといいますが、個性のある子供、一人で立ち上がれる子供なんて、いじめのターゲットにされるんじゃないですか?自分の可能性を信じていたから自殺こそしませんでしたが、死にたいと思うくらいつらい体験はたくさんありました。きっと、他人に辛く当たって平気な人は、心が病んでいるのでしょう。そう思って自分を慰めてみても、病んでいる人のほうが多くなってしまっては、いかんともしがたい。これほどまでに社会を追い詰めているものは何なんでしょう?よくわかりませんが、教育に関してはひとつ思い当たることがあります。私の父は、終戦直後に旧制中学を卒業しました。戦争責任を問われて多くの教育者が現場を離れましたから、父の同窓生はほとんどが師範学校に進学し、教師になりました。上がいないものですから、その人たちは、定年までにみんな校長になれたわけです。これと同様なことが、日本中の管理職域で見られたのではないでしょうか。勉強すれば、地位や名誉、退職金が手に入ると思った親たちは、盛んに子供に教育を施そうとします。高度成長期の増収が、親の感情を後押しします。冷静に考えたら、誰もが偉くなれる、誰もがいい立場を得られるなどとは思わないはずなのに、結果的に過度の競争が教育の現場に起こったのではないでしょうか。戦争によって失ったものは、領土でもなく、自尊心でもなく、ただ前をみてまっすぐ生きること なのではないかと。サラリーマン家庭に育った私達夫婦は、農家の生活に憧れます。自分のペースで食べるだけのものが確保できたら、他人をうらやむ必要もないと思うのです。