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テーマ:介護・看護・喪失(5319)
カテゴリ:母のこと・介護
近所の人達とランチに出かけるはずが、部屋で全く動いている気配がなく、 もう家を出たのかと覗きに行ったら、ベッドの上で仰向けに倒れていた。 異常なイビキ音、呼ぼうが叩こうが全く反応がない。 救急車を呼んで、脳外科では府内で最高レベルと言われるB病院に緊急搬送。 CTを撮ると、最悪の脳幹出血だった。 (生命維持のための全ての信号が発信される、最も重要な器官) 「重篤状態です。場所が脳幹なので、開頭手術はできません。 できる限りのことはしますが、7割を損傷していますから、覚悟もしておいて下さい」 担当医にそう言われた時、体中の血が逆流した。 母が仲良くしていた人達や親戚に連絡しようとするも、 激しく動揺していて、普段使っている自分の携帯が上手く使えない。 やっと電話ができて、近所の人達が駆けつけてくれた時、 声より先に涙が出て、しばらく何の説明もできなかった。 そこから毎日の病院通い。 ICUで、明日の命も知れない母との1時間×2回/日の面会が続いた。 同じ市内に住む叔父(母のすぐ下の弟)は、面会を終える度に泣いていた。 やがて意識が戻り、死の淵から生還。 B病院のICU、準ICU、一般病棟、リハビリ病棟、介護病棟を経て、 今はD病院の介護病棟にいる。 倒れた当時のことを振り返る度、想像を超える母の生命力に感心する。 そして、楽天のみんなと友人達が、神仏や天国のご家族にお祈りして、 地球のあちこちから送ってくれたパワーの凄さ。 今、母が生きているのは、母だけの力ではない。 この1年における、母の容態変化 ・人工呼吸器をつけていた → 自発呼吸できるようになった ・脳疾患による内臓ストレスで、かなりの出血を伴う胃潰瘍を併発 → 治癒 ・舌の制御不能(喉の奥に入り込んで窒息の危険) → かなり制御できるようになった ・右腕は、肘から手首にかけてしか動かない → 二の腕も上がるようになった ・麻痺した左手が、パンパンに浮腫んでいる → 随分なくなった ・38度以上の発熱が当たり前 → 出ても微熱程度 ・頻繁に起こる反射(無意識に体が動く) → かなり減った ・失語症(声が出ない) → ごくごくたまに、「あ」または「う」の声が出る ・右瞼は瞬きするが、左は半開きか閉じたまま → 左右一緒に瞬きかけている 倒れた当初と変わらないこと ・自力で起き上がれない ・寝ている状態では首を動かせるが、座らせると頭が垂れる ・左半身が完全麻痺・右顔面もほぼ麻痺 ・嚥下(飲み込み)ができず、カテーテル(管)からの注入食 ・排尿が完全にできず、バルーンカテーテルを装着 ・体温調節が上手くできない こうして振り返ってみれば、好転もしくは停滞ばかり。 悪化していることがないのは、喜ぶべきことだ。 一般的な医学的見地では、一生寝たきりだろうと告げられている。 それに、脳幹出血だけに急変しないとは限らない。 調子の良い時と悪い時の差が極端で、悪い時は何をしても全く無反応。 脳疾患の中でも、脳幹出血が特に厄介であることを思い知らされる。 でも、全身に「動け」という信号が再び届けられるのを、母はじっと待っている。 私にとってこの1年間というのは、 前半は精神的に、後半はそれに加えて金銭的にきつい状態が続いた。 何度か追い詰められそうになった。 けど、 「捨てる神あれば拾う神あり」 「ポジティブに行動していれば、必ず活路が開ける」 そう信じていると、母に少しずつ快復が見られ、 転院によって入院費の負担が軽減された。 これからも、この精神で行こう。 母は頑張っている。だから、私も頑張ろう。 座れるようになれば見える、病室の窓からの風景 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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