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テーマ:介護・看護・喪失(5321)
カテゴリ:母のこと・介護
前の病院にいた春頃、母に聞いた。 「1日が長いやろ?」 窓際から離れていて、見えるのは天井と仕切りカーテンぐらい。 この病院は民家が接近しているために、例え窓際だったとしても曇りガラス(それも小さい)で外は見えなかった。そのせいで常に天井の蛍光灯がついていて、部屋の真ん中にいる寝たきり患者には、朝なのか夜なのか区別がつかない状態だった。 景色は狭小で、酷く退屈なはずだ。 が、私の質問に対する母の答えは意外なものだった。 首を横に振ったのだ。 「そっか、その方がいいかもしれへんなぁ」 テレビを観ることも、本を読むこともできない体。天井だけを見つめながら1分1秒を確実に感じていたら、気が変になるだろう。 脳から発せられる様々な指令が途絶えたけれど、時間感覚がなくなったことは、この環境下においては不幸中の幸いだったかもしれない。 さて、今の病院に移って4ヶ月。 今日、久しぶりに同じことを聞いてみた。 「1日が長いやろ?」 すると、母が頷いたのだ。 大きな窓の側で空が広く見えることから、昼夜の区別がついて、1日の長さの感覚が戻ってきたのだろうか? 勿論、時間感覚が戻ると、日長一日寝て過ごすのは苦痛になる。 でも、今の病室からは寝たままで空が見えて、天気が分かる。ベッドを起こしてもらえれば、遠くの景色で季節が分かる。朝の光が差し込んで明るく、日が暮れると部屋の電気がつけられて、カーテンが閉められる。 スタッフの挨拶で判断しなくても、朝昼夜が確実に分かるのだ。 そのせいだろう、前の病院では夏頃から昼夜逆転していたが、今は夜にちゃんと眠っているようだ。 体内時計の復活。 寝たきりの母にとって、それが良いことかどうかは分からないが、私には一歩前進に思えた。 いろいろ質問して反応を見ていると、どうも本が読みたいようだ。子供の頃から読書三昧だった母だから、当然だろう。 テレビも好きな人だったが、今は観たくないらしい。マラソン中継やらスポーツ観戦をよくしていたけど、観たくないというなら無理に観せることもないだろう。 大好きなクラシック音楽も、何故か今は聴きたくないそうだ。 「本が読めるようになったら、いっぱい持ってきてあげるからな。この調子で頑張りや」 そう言うと、頷いていた。 眼球の動きは以前に比べて鈍くなっているような気がするが、見えないと思っていた右目が見えているのが分かった。 体が起こせない、手が思うように動かせない、そんな状態で本が読めるわけがないが、目さえ見えているのなら、希望を持たせてやることができる。 それに向かってポジティブになれば、体が活性化する。 "本を読む"・・・今の母にとって大きな目標だ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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