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カテゴリ:濃厚な大阪・関西ネタ
外国人から見た大阪の感想というのは、非常に興味深い。 25日の産経新聞に、英国のフィナンシャル・タイムズ紙に掲載された大阪論が紹介された。 デイビッド・ピリング東京支局長によって書かれたものだが、これがまた面白いのだ。 大阪の性質、文化、歴史だけに留まらず、カーネル・サンダースの呪いにまで言及している(笑) それでは、以下、全文。 日本語訳は、産経新聞ロンドン支局長の木村正人氏。 紙面とは違って横書きの上、一行の文字数が多くなるため、読みやすいように段落ごとに一行の間隔を入れさせてもらった。 Absolutely everything Tokyo is not 大阪で最初に気づくことの一つは、エスカレーターの利用者はステップの右側に立ち、大またで歩く人が左側を通ることである。これは、荒っぽくてせっかちなこの街と東京との違いだ。東の首都、東京ではこれが逆なのだ。日本というところでは、慣習は法律と同じ重みを持つ。大阪の振る舞いは謀反であり、まさに独立を宣言しているのと同じである。私が東京駅から2時間36分のハイスピードの旅を終えて新大阪駅に着くときは、必ずエスカレーターのことが頭の中に浮かんでくる。いったい東日本と西日本の境目はどこなのか? その境界となる地点では、ルールを言い争って大騒乱が沸き起こっているに違いない。 昼間(人口で)日本第2の都市、大阪はすべての面で東京とは正反対だ。私は東京が好きだ。しかし、大阪も好きだ。東京とは違うからこそ、断固として異なるからこそ、好きなのだ。大阪はせっかちで、そこつ。一方、東京はお上品できちょうめん。大阪の料理は辛くて、香ばしく、かといって未熟ではなく、おいしい。太ももが細くなるほど健康的だ。大阪人は愛嬌があって、厚かましい。そして、怒り出すかと思うと、すぐに笑い飛ばすのが日常だ。東京では、礼儀正しさのあまり、打ち倒されて死んでしまう恐れが十分だ。 大阪の方言も(東京とは)まったく異なっている。大阪弁は、ご存知の通り、辛辣で、コメディアンやきわどい講談師に愛されている。 いくつかの点において大阪は東京をしのぐ。その一つが、その都市風景の、純粋で、壮大なまでの醜悪さにある。街はコンクリートのるつぼになっている。頭上の高速道路は、うどんの麺のように、信じられないほどグルグル渦巻き、ほぼ同じ高さにあるビル屋上の巨大電光広告板の間を通り抜けていく。大阪人には、東京があらゆる利点を持っていることを自覚する心づもりがある。彼らは、しばしばうっとりしながら"緑の都(東京)"のことを語る。それは、死の谷の住民がゴビ砂漠の降水量をうらやむのによく似ている。 大阪は何者かが普通の都市からいろんなものを取ってきて並べ、それをまた一緒くたにしてつぶしたかのようだ。ある通りでは、ギラギラに塗装された巨大観覧車が信じられないことに、高層ビルの間に割り込むようにして建てられている。それはある意味、(テムズ川沿いにある世界最大級の大観覧車)ロンドン・アイを(エレベーターなど、ビルの中身が見える斬新なデザインで有名なロンドンの現代建築物)ロイズ・ビルのそばで回転させているようなものだ。あるレストランは、20フィート(約6メートル)もある機械仕掛けのカニのディスプレーが有名だ。大阪は大きくて、けばけばしい。繊細であることはまれである。 東京は控えめな都市だ。東京のレストラン、クラブ、ラウンジ、バー、ライブハウス、劇場、その他さまざまな歓楽スポットは秘めやかで、魅力のないドアの後ろに押し込まれている。大阪はすべてが開放的だ。まるで、東京が度胸を道ばたに撒き散らした感じである。 大阪はその特徴を生かしてきた。大阪は7世紀にはすでに重要な都市だった。近くの奈良や京都が首都だった何百年もの間、日本の商いの中心だった。今日、大阪は近畿地方の中心地である。この地方の生産高は、カナダとインドの合計を上回っている。 昔は、商品が日本全国に流通する前に大阪を通過していた。中世のハブ・アンド・スポーク(大都市ターミナル集中方式)は商都に潤沢な税収をもたらした。大阪はいつの時代も進取の気概に富み、先物取引も生み出した。1730年に堂島米会所で開始されたのである。デリバティブ(金融派生商品)やモーゲージ(抵当)の証券化が流行するはるか昔のことである。大阪企業家ミュージアムによると、近郊住宅地域、カーキ色、シネマ(映画)、電気洗濯機、保険、そして最も重要な、カップ麺を発明したのは大阪だ。 最近、大阪を訪れた際、私は有名な道頓堀通に立っていた。大阪松竹座から少し通りを入った所にある。禅の静寂をもたらした同じ国の産物、道頓堀は、不協和音へと通じる生きた記念碑だ。幾層もの音が、電波を取り合っていた。ハイピッチの高音で歌われる最新のJポップソング。何かを嘆願するひずんだ声がメガホンで拡声され、そこにパンティーストッキングの超破格値の呼び声が割り込んでくる。店頭で競うようにベルをかき鳴らすケーキやCD、たこ焼きの宣伝。そして、松竹座からの合図が響き渡った。歌舞伎独特の拍子木がせわしく打ち鳴らされた。 多くの人々がグリコマンの近くに集まっていた。グリコマンとは、1920年代からグリコのキャラメルのシンボルになっている陸上選手の巨大ネオン像で、今や大阪のランドマークだ。近くにある戎橋は改修工事中だった。大阪の愛される野球チーム、阪神タイガース優勝を祝うため数千人が運河のどす黒い水の中に飛び込んだ際に起きた最近の水死事故がきっかけだ。 あの日本一にもかかわらず、タイガースは1985年以来、人呼んで「カーネルサンダースののろい」に苦しんでいる。あのとき、熱狂的なファンたちが近くのケンタッキーフライドチキンの店頭にあったカーネル・サンダース人形を運河の深みにほうり込んだことに由来する。その深みのどろどろしたおかげで、これまでに何回も浚渫されたが、カーネル・サンダース人形はついに見つからなかった。 東京に帰る新幹線に乗る前に、私は屋台のラーメン店に立ち寄った。畳台の上に小さなテーブルが2つ、3つ置かれていた。私は自動販売機で豚骨ラーメンのチケットを買った。値段は650円。そして、濃厚な煮出し汁をプラスチック製の容器に注いでいた店員の一人にチケットを手渡した。自分で水をいれ、白菜キムチを取る。大阪は朝鮮の影響を強く受けている。私は靴を脱いで、食事用の低いテーブルの一つのそばに正座した。するとすぐに、隣のテーブルの見知らぬ人が私に缶ビールを振る舞ってくれた。大阪のあふれんばかりの自発的な気前の良さから来る振る舞いだ。 しかし、まさに大阪らしい本当の瞬間が、そのすぐあとに訪れた。小さなネズミが出現して畳台と調理場の間の側溝を上に下にチョコチョコ走り始めたそのときだ。私は東京では一度もネズミを見かけたことがない。私にできるのは、そんなげっ歯類の訪問があったならパニックが起きていただろうと想像することだけだ。 こちらの人は、かわいい犬を見るように、からかうような視線を向けたのだ。そして食べるという重要な作業をまた始めた。豚骨スープのにおいが満ち溢れてきたので私も同じようにはしを進めた。店を出るとき、私は念のため自分の靴を調べた。しかし、ネズミは立ち去っていた。 確かに大阪には在日朝鮮人が多いし、朝鮮系の祭りや寺院もあるけれど、そんなに強く影響を受けているとは思わないんだけどなぁ・・・。 彼らの居住区である、鶴橋周辺に行ったら凄いらしいけど。 外国人が異文化(日本)の中にさらに異文化を見つけることで、それが強く印象に残るのかもしれない。 あ、そうそう、ネズミと遭遇するなんて確立は、本来ゼロに近いからね^^; この行は、読んだこっちがビックリしたよ(笑) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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