神社
ブログを作ろうと思い立った時、頭の中は、自分の書きたいという思いで一杯だった。あれも書こう、これも…。とりあえず手当たり次第に書いてみた。ある程度書いたら、今度は書くことが出てこない!!。もう、ネタが尽きたのか?早すぎる…。さて、今日は久しぶりにご近所の神社に行って見た。(といっても土曜日以来)相変わらず参拝客は0人。10月から、週に4,5日行っているのだが、参拝客にあったためしがない。(爆)小高い山の中にある、木々に囲まれた神社。若宮神社と言うが、八幡神社らしい。今までは、拝んでいても、私の中の、怒りやら、憤りやら、心配やらそういう感情が出て来て、出てきて止まらなかった。それが、行きだして1ヶ月を過ぎたころから少しずつ感じが変わってきた。まず、拝んでいるうちに、まず自分の頭の中が少し輝きだす、それが、少しずつ腹に落ちていく。何となく、イメージで自分が光ると言うのが分って来た気がする。それは、とても綺麗で、美しい感じなのだ。何せ、参拝客は0なのだ。宮司らしき人はたまに見るが…。ということは、下手をすれば、私一人が神様を独占できるって事?何と、ありがたや、ありがたや。普段小さな神社は、神様がいないこともあるらしいと聞いた。でも、きちんと祈れば、そこの神社の神様の代理なる神が、大神様にちゃんと伝えてくれるそうだ。それを何処かのブログで読んでからは、改めて、大神様に伝えてもらえるように拝んでいる。(それで、いいのかは???だけどね)ただ、その場所で鳥のさえずりを聞きながら祈る。その時間が段々と至福の時に感じられてきて、なんともいえない満足感に満たされる。自分の中に、邪悪な心が出てきた時、(それは、多分、見栄とか人と同じにしたいとか、人より上にとか、そんな心。)神は、ちゃんと見ていて、いくら拝んでも拝んでも、頭も腹も黒いまま。なかなか光とはならない。自分で、無意識で邪悪な心が出てきているのだなと反省する。自己コントロール、良い想念を出すこと。本当にそのとうりなのだと思った。人には気付かれなくても神は見ている。私は、人の反応ではなく、神の反応を見て生きなければならない。今までの私は、精神世界にどっぷり逃避したり、テレビばかりを見続けていた時期もあった。が、もしかして、神社に行って神社に逃避するって言うのは、一番自分自身の心が落ち着く、いい逃げ場所なのではなかろうか?自分と自分との会話。もしくは、自分と神との会話。これが今意外と心地良いと感じている。