腹くくるひとと。
今日は調布の布多天神社のつくる市というイベントに初めて参加した。予想外に寒い一日でなかなかたいへんではあったのだけれどある女性と原発についての考え方が合ってうれしくなった。「なんでみんなが平気でいられるのかわからない」と彼女がいう。曇り空のもと調布の神社の鳥居のそばで日本の原発事故を憂いて言葉が行き交った。「おかしいと思ったら自分で調べて確かめてみたらいいのにニュースで大丈夫っていってるからって平気な顔してるのよね。こっちが深刻なこというとまたおかしなことを言い出した、って新興宗教の人間の台詞を聞いているみたいな顔つきになるのよね」「風評の犯人みたいな感じでね」「報道だってじっくり聞いてたらどう考えたって、いじられてるのがわかるものね」「朝のニュースでは言ってたけどお昼のニュースでは言わなくなってたってことがあったり放射能のあぶない地方の風向きをいわなくなったりしたりそういう規制が働いてるってことだとしたらどの報道も押しているべしなんだから信用できないのよね」「学者ってひとを招いて何聞いても、やらせみたいで薄ら寒い思いがするね」「水や食物のこと考えたら逃げ出したいほどこわいよね」「あぶないことはあぶないって言ってもらいたいよね。ここまではあぶないっていってくれたら考えて行動できるもの。隠されたら不安になるばかりだもんね」「逃げ出すって選択肢もあるけど一時のことじゃなくて長丁場になるにきまってるから暮らしていくってことを考えたら腹を括って東京に居るしかないのよね」「自分の暮らしは自分が守らなくっちゃって思うね」「それと家族だからといっておんなじ考えを持つとは限らないものね」「あれこれ調べれれば調べるほど深刻なことでこんなに不安で悩んでそれでも、そういうことを全部呑み込んでその上で最期はタイタニックの楽団の人たちのように静かに手を振って去っていこうと腹を括ってここにいる人間とテレビで大丈夫って言ってるよって関心を向けない人間が隣り合わせにいる現実がちょっと気持ち悪かったりするね」「それでもこれから先の事態の変化に何度も何度も腹を括りなおさなきゃならないよね」「うん、そうだね。しずかにがんばろうね」ひとしきりそんなことを話すとこころがすっきりした。それで事態が変わることはないけれど思いを理解し合える人と出会ったことがなによりうれしかった。そして生き死にに関して腹括ったうえでわたしたちの静かな怒りをこの国の舵を預かっている人たちに伝えるべきではないか、と思ったりした。