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分太郎の映画日記

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2007.03.27
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 長年、松竹で映画を撮ってきた渋谷実監督が、松竹を出て東宝系の東京映画で作った唯一の作品。渋谷監督の遺作でもある。
 東京・渋谷のシネマヴェーラ渋谷で開催中の「祝生誕100年!映画監督 渋谷実。」にて鑑賞(2007/3/26)。

 『喜劇 仰げば尊し』 評価:☆☆☆

 テーマは、戦後に大きく変わった日本と人間の生き方、かな。

 タイトルに「喜劇」とあるがコメディではなく、基本的にはシリアスなドラマ。
 変わってしまった1960年代当時の(それは今にも通用する)日本の有り様を痛烈に批判するために、逆説的に「喜劇」と付けたのだろう。
 ただ、主演を森繁、脇役に谷啓、三木のり平、小沢昭一らを配し、東宝には「喜劇 駅前」シリーズなどもあるので、観客が単純なコメディを期待しても仕方がないだろう。その意味では、脚本の意図が通じにくいのも確かである。

 瀬戸内海で小学校の先生を主人公にした映画というと、高峰秀子主演の『二十四の瞳』がまず思い浮かぶが、脚本の松山善三はその『二十四の瞳』で助監督をしていて、それが縁で(木下恵介監督の紹介で)高峰秀子と結婚している。この『喜劇 仰げば尊し』に『二十四の瞳』の続編の意図を含めていてもおかしくはない。
 一方の渋谷監督は、木下監督を嫌っていたようなので、そう言う意味では『二十四の瞳』のパロディを狙っていた節も伺える。
 その辺のせめぎ合い?が悪い方向へ空回りしてしまった、そんな印象の映画であった。

 かつての教え子の所を回ってみると、みな子供の頃の純真な思いを忘れて、現状に流され生活に追われ世知辛い毎日を送る姿に、森繁演じる教師は失望するわけだが、そこには一見すると、東京=汚れた・堕落・悪、田舎(瀬戸内海の島)=清らか・純粋・善、という構図が横たわっているように感じられる。
 しかし、やや強引ながら、淡路島の場面でそれを引っくり返してみせる。田舎の人間も、高校生たちの純真な思いに対して、金のためには歯牙にもかけなかったり、無関心である様子が、森繁VS小沢のドタバタ劇を通して描かれるのだ。田舎=善ではないことがくっきりと描かれるのだ。
 したがってこの場面、他のコメディ作品のようにテンポよく進むわけではなく、ひたすらにぐずぐずと森繁は崩れ落とされるのである。この後味の悪さはたぶんに確信犯であろう。
 一方、田村演じた善良な雰囲気の教師も、「愛国心とは」との問掛けに考え始めたことを森繁に打ち明け、必ずしも子供の頃の純真な思いを持ち続けてきたわけではないことが明らかになる(具体的な過去が明らかになるわけではないが)。だからこそ、その田村教師が、教え子のなかで唯一人間らしい温かみを感じさせることに説得力が生じるのだと思う。
 必ずしも田舎=純真・善ならず、ということは、森繁自身にかつて恋人(京塚昌子)がいて彼女を捨てたことで“復讐“される様子を追加することで駄目押しされる。そもそもこの恋人の話は、全体の流れの中でまったく必要がない訳で、それが挿入されていることには、相応の深い意味が用意されているはずである。
 単純なコメディと思い、その辺りを見間違えると、本作品の評価を誤るのではないだろうか。(単に私の裏読みのしすぎという気もするが……)

 大事なことは、初心なり昔の純真な思いを忘れることは誰にでもあるにしても、ふとしたきっかけで改めて気付かされたときに、そこで再び決意しなおして、進むべき方向の舵を切り直すこと、その繰り返しの中にしか実現する道はない、そんなことを改めて感じさせてくれた映画であった。

 この映画の失敗は、たぶんに前述のせめぎ合いの結果だろうが、主演の森繁は硬軟いずれも演じられる役者なのでひとまず置くとして、脇役はシリアスなイメージの俳優で固めなかったことではないか。
 『本日休診』でのコメディリリーフとしての三國連太郎の役を分担してという意識だったのだろうが、脚本的に彼らの登場場面がコメディとしてとくに可笑しいわけでも優れているわけでもないので、コミカルな要素を廃した役者でしめた方が、より作品全体の逆説的な意味での“喜劇性”が高まったのではないだろうか。

 「喜劇」の言葉とキャスティングによって、普通のコメディ映画として捉えられ、結果として非常につまらない作品と思われてしまう(しまった)のは残念である。


【あらすじ】(ネタバレ有り)
 瀬戸内海のある島の小学校の老教師・浜口丈太郎(森繁久彌)の元へ、かつての教え子・黒川(木村功)が訪ねてきた。しかし酒をくみかわした翌朝、黒川は投身自殺した。そして、東京から駆けつけてきたのは黒川の妻・頼子(川口敦子)ではなく、愛人の小林千津(佐々木愛)だった。
 浜口は、お骨はやはり頼子に渡すべきだと考え、千津とともに上京するが、途中、千津の自殺未遂を起こし、彼女が黒川の子を身籠っていることがわかる。東京についた浜口は、早々に頼子を訪ねるが、居留守で会ってもらえなかった。
 浜口は、東京にいるかつての教え子を訪ね歩く。都議会議員の西岡勝敏(谷啓)は票取りのため恩師との再会を美談にしようと画策しており、旅館を経営する小松原浩(三木のり平)のところは実は連れ込み宿、産婦人科医の者長谷川透(佐藤英夫)は堕胎専門の医者になっていた。誰にも千津のことを頼めなかった。その頃、頼子は千津を訪ね、黒川は弱い人で、自殺の原因はあなたと私のことではなく、組合の金を遣い込んだからと非難していた。
 千津の母親(鈴木光枝)が子供を堕ろせと説得して長谷川のところへ連れていくが、千津は逃げ出してしまう。浜口は自分のところに引き取ることにした。
 帰る途中、淡路島で高校の教師をしている教え子の長尾久四郎(田村高廣)のところへ立ち寄る。彼は部活で郷土芸能の人形浄瑠璃を教えていた。生徒たちの発表会の日、市町合併の祝賀があり、会場の隣の広場での騒音に怒った浜口は騒動を引き起こしてしまい、それに巻き込まれた千津は流産してしまう。
 しかし、千津に魅かれたらしい長尾に彼女を託し、高校生たちに見送られて、浜口は元気に帰っていくのだった……。



『喜劇 仰げば尊し』
【製作年】1966年、日本
【製作】東京映画
【配給】東宝
【監督】渋谷実
【脚本】松山善三
【撮影】岡崎宏三
【音楽】林光
【出演】森繁久彌、佐々木愛、木村功、谷啓、三木のり平、市原悦子、佐藤英夫、田村高広、川口敦子、京塚昌子、野村昭子、鈴木光枝 ほか





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最終更新日  2007.04.03 14:59:19
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