『しろばんば』
井上靖の代表的名作『しろばんば』の映画化。複雑な家庭に生まれた少年の葛藤と成長を描いた傑作。 今年(2007年)7月に神保町にオープンした小学館直営の映画館、神保町シアターで開催中のレイトショー特集「こどもたちのいた風景」にて鑑賞。 『しろばんば』 評価:☆☆☆☆☆ 井上靖は格別に好きな作家というわけではないのだが、いくつかの作品は個人的に非常に印象に残っている。 というのは、私が中学校1年生の時、文化祭での図書委員会の企画展示が「井上靖」特集で、『蒼き狼』『しろばんば』『夏草冬濤』『あすなろ物語』の4作は自分の担当だったこともあり、読み込んだ覚えがある。いずれもその後数十年、読み返したわけではないので、記憶が薄れてしまってはいるのだが……(自伝的小説として『しろばんば』『夏草冬濤』の後に『北の海』が刊行されているが、当時はまだ文庫化されていなかったため、未読のまま現在へ……)。 『しろばんば』は、井上靖が天城湯ケ島で過ごした多感な子供時代を綴った自伝的小説で、「しろばんば」とは晩秋の天城で、夕方に白い綿毛をつけて飛ぶ虫のこと。 原作は主人公の洪作(こうちゃ)と育ての“親”ぬい婆ちゃ(曾祖父の妾)を中心に、主人公をめぐる複雑な人間ドラマを淡々と描いていたような記憶があるのだが(うろ覚え)、映画ではどちらかというと、洪作と叔母のおさき姉ちゃんとの関係──少年が若くて美しい女性に抱く淡い恋心──に焦点が当てられている。 主人公の洪作役の島村徹のあどけなさを全開にした演技──少年が年上の女性に抱くそこはかとないときめき──もさることながら、叔母役の芦川いづみが、美しいというか、少年が心をときめかせる理想とも言うべき女性像を見事に演じきっていて素晴らしい。 そして、おぬい婆ちゃ役の北林谷栄が、これまた見事なはまり役。彼女は(若い自分から)嫌味なおばあさんというイメージが強い(混血の姉弟を育てる『キクとイサム』(1959年)でのおばあさん役は非常に良かった)が、その皮肉・文句たれたれな様子の背後に、洪作への無償ともいうべき愛情が溢れている様を好演している。 脚本の木下恵介は、言うまでもなく『二十四の瞳』などの名作を撮っている監督だが、非常に複雑な人間関係を巧みに処理して描いており、膨大な原作を1時間半という尺に手際よくまとめる手腕はさすがだ。 鑑賞後は劇中で頻繁に唄われる「箱根八里」がぐるぐる回ること必至。 なかなか鑑賞の機会は少ない作品だとは思うが、機会があれば一見をお薦め。 ちなみに,井上靖の同じく自伝的小説『あすなろ物語』も映画化されていて、同じく神保町シアターでの特集で上映された。脚本が黒澤明(!)だったりする(1955年、東宝作品。堀川弘通の監督デビュー作で、師匠の黒沢が脚本を贈った)。 この作品も鑑賞したが、こちらもお薦め(評価:☆☆☆☆)。【あらすじ】(ネタバレあり) 大正初期の伊豆・湯ヶ島。伊上洪作は、豊橋に住む軍医の父や母、妹と別れて、母方の曾祖父の妾であったおぬい婆さんと、土蔵で二人で暮していた。おぬいにとって、最初は嫌々預かった洪作ではあったが、今では可愛くてしかたがない。母方の本家は近くにあったが、おぬいと本家との中はあまりよくない。 明日から春休みという日、本家の次女で叔母のさき子が女学校を卒業して帰ってきた。新学期から洪作の通う小学校の教師になるという。洪作は優しいさき子が帰って来たのが非常に嬉しく、一方のさき子も、不憫な暮らしをしている洪作を何かと可愛がるのだった。同級生たちは「ひいき、ひいき」と騒ぐが、洪作は気にしない。 夏休み。洪作はぬい婆さん連れられて、豊橋の父母の家に出かけた。自分の手元に引き取りたい母親とぬいとの口論から、洪作は自分がおぬい婆ちゃの本当の孫ではないと知ってショックを受ける。 さき子は、洪作の担任・中川先生と恋に落ちた。そして、さき子の妊娠が発覚すると、中川先生は祝言もそこそこに、新学期を前に、遠くみかん栽培の盛んな地へと転任していった。 冬。さき子は子供を出産した。赤ん坊を負ぶり、洪作と散歩しながら歌を唄うさき子は以前よりもかなり痩せていた。さき子は結核に罹っていた。部屋を訪ねる洪作を追い返すが、洪作は扉の前に座って歌を口ずさむ。さき子も声を合わせるのだった。 さき子の病状は思わしくなく、中川の元へ行くことになった。村人に知られないように夜中に旅立つさき子を、洪作はぬい婆さんと見送るのだった。そして、初秋。さき子が死の知らせが届いた。『しろばんば』【製作年】1962年、日本【配給】日活【監督】滝沢英輔【原作】井上靖【脚本】木下恵介【撮影】山崎善弘【音楽】斎藤高順【出演】島村徹(伊上洪作)、北林谷栄(曽祖父の妾:おぬい婆ちゃ)、芦川いづみ(叔母、本家の次女:さき子)、細川ちか子(曽祖母:おしな)、清水将夫(祖父:文六)、高野由美(祖母:たね)、芦田伸介(父:伊上捷作)、渡辺美佐子(母:伊上七重)、畠山とし子(妹:伊上小夜子)、宇野重吉(父方の祖父、校長先生)、山田吾一(中川先生) ほか井上靖の原作本『しろばんば』旧制中学時代を描いた『夏草冬濤』旧制高校時代を描いた『北の海(上)』『北の海(下)』芦川いづみの代表作DVD『陽のあたる坂道』『あすなろ物語』の監督による黒澤明論書籍『映画の昭和雑貨店(続々々)』書籍『映画の昭和雑貨店(完結編)』