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花龍のお店の中に本を置いてありますので、本を好きなお客様も大勢お見えになります。中には時々エッセイを書いたり、詩作をしたりするんだよと、おっしゃる方もいらして、作品を持ってきて下さるのです。了解を得て小さな作品をご紹介したいと思います。
題 とまりん 明けの明星が西に傾く。風の音も止まり、対岸のネオンが海面に青白く尾を引く。時々、ボラや稚魚たちのはねる音がしじまを破る。ひたひたと湾岸にたゆたゆ、この海の向こうの、どこか広いところに行きたいと若者は心を痛めた。釣り糸をたれ漁心を待った。 星空を仰ぎ大学に行きたいと、何が人生なのかと思いわずらっていた。昔、夜半に不知火はリーフを伝って、もっとも岸辺に近づき青白い光を放ち、明け方どこともなく海の彼方へ去る。と言う古老の話を聞いたことがある。不知火あるいは漁り火、彼岸に成仏できない魂達だと言う。リンちゃん、時はそれなりに意味を刻んで過ぎ去るものか、干潟は埋められ、エビやシオマネキ達はとっくに死んでしまった。 とまりんの展望台からは慶良間諸島が眺望され、大型貨物船や客船が行きかい、那覇空港からはひっきりなしに飛行機が飛び、県庁始めビルの林立する那覇市は繁栄の一途をたどっているかのようである。 夏、ショートカットで目がパッチリとした歯並びの綺麗な「りん」に出会った。瞳が青紫に輝いていた。 僕は時たまワインを飲みながら夕日に見入る。沖縄の夏の太陽は赤く水平線に沈む。茜色に溶け込む光景は人生のロマンに依りて、そのまま幸せの終末に昇天したいような切なさがある。太陽が沈む夕闇が迫ると、いいようのない寂寥(せきりょう)が走る。 りん、夜半に海面に波紋が広がり、どよめくことがあるのがわかりますか。僕は眠れない夜の散歩をするとき、異様な水の音に続く波紋に会うときがある。波紋は一段と広がり、岸へと近づいてくる。夜は深深と更け、星も湖光と輝いている。 「お父さん」「お母さん」「お兄さん」「お姉さん」とさざ波が青い光の声に変わる。「僕だよー」「私よー」さざ波の青い光はなおも切なく訴える。昔、古老から聞いた不知火。 そんなある夜、僕はふと「お兄ちゃん」私よ、と言う声を聞いた。「今日あなたは私のお兄ちゃんよ」、青い光の声が涙ぐんで叫んでいた。さざ波の波紋が広がる。「お兄さんに会いたかった」「ヤヨイー」「ヤヨイちゃーん」「こっち来てー」と。僕はこの泊の海岸から黒潮丸に乗って集団就職に行った少女の涙を見た。顔がぐしゃぐしゃにぬれ、肩を揺るがせながらしゃっくりをあげていた。「先生、お兄さん、行きたくない。待っていてー」とテープがちぎれた。青白い光のさざ波、ヤヨイは必死に岸にたどり着こうとした。「今行く」僕は青い光を追った。だが、いつのまにか海はゆれ、青い光は遠く沖へと去って行く。僕は「ヤヨイー、ヤヨイー」、待ってよ待ってよと久米島フェリー、大東丸、石油タンクまで追いかけた。青白いヤヨイの光は瞬く間に泊大橋の彼方に消えた。 リンの青紫の瞳に涙が滲んでいた。 ちょっと恥ずかしいが・・・と言ってその方は原稿を置いて行かれました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2005年05月11日 23時41分28秒
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