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テーマ:人と自然の関係(599)
カテゴリ:冬山
高校生の時よく山で歌ったな
先日の湯の丸山山スキーの鹿沢温泉登山口に 雪山賛歌の碑がある ここが雪山賛歌の発祥の地なのだ この碑の由縁を示す看板を読むと 「雪山讃歌のおこり」 大正15年1月京都帝国大学の山岳部が鹿沢温泉でスキ-合宿された。合宿が終わってから後に第1回南極越冬隊長をされた西堀栄三郎氏、京大カラコルム遠征隊長となった四手井綱彦氏、アフガニスタン遠征隊を勤めた酒戸弥二郎氏、並びに東大スキ-部OBで後にチャチャヌプリ遠征隊長をされた渡辺漸の4名にてスキ-で新鹿沢へ下って宿泊されたが翌日天候が崩れ宿に閉じこめられた。 一行は、退屈まぎれに「山岳部の歌」を作ろうと言うことになり、曲をアメリカ民謡「いとしのクレメンタイン」としこれに合わせて皆で上の句、下の句と持ち寄って作り上げたものであると言う。戦後京大山岳部員が当時の資料に記載されていたこの歌を寮歌に加え歌われ始めたのが急速に一般にも愛唱されるようになったが、作者不詳となっていたものを作詞の状況を知った、京大教授桑原武夫氏が作詞は西堀だと著作権の登録をされたもので、この印税は同山岳部の活動の大きな資金源となっていると言う。 「雪よ岩よ」で山を愛するものに親しまれているこの歌こそ粉雪舞う鹿沢温泉角間峠付近にピッタリで有り、その自然は今も昭和初期と全く変わっていないと思う。今回地元でこれを記念し「雪山讃歌の碑」として、台字を西堀氏直筆にて鹿沢温泉に建立した。 昭和57年4月 群馬県吾妻郡嬬恋村 嬬恋インタープリター会の地で生まれた歌だったのだ 雪山賛歌 1番 雪よ岩よ われらが宿り 俺たちゃ 街には 住めないからに 俺たちゃ 街には 住めないからに 2番 シール外して パイプの煙 輝く尾根に 春風そよぐ 輝く尾根に 春風そよぐ 3番 煙い小屋でも 黄金の御殿 早く行こうよ 谷間の小屋へ 早く行こうよ 谷間の小屋へ 4番 テントの中でも 月見はできる 雨が降ったら 濡れればいいさ 雨が降ったら 濡れればいいさ 5番 吹雪の日には 本当に辛い ピッケル握る手が凍えるよ ピッケル握る手が凍えるよ 6番 荒れて狂うは 吹雪か雪崩れ 俺たちゃ そんなもの恐れはせぬぞ 俺たちゃ そんなもの恐れはせぬぞ 7番 雪の間に間に キラキラ光る 明日は登ろうよ あの頂に 明日は登ろうよ あの頂に 8番 朝日に輝く 新雪踏んで 今日も行こうよ あの山越えて 今日も行こうよ あの山越えて 9番 山よさよなら ご機嫌宜しゅう また来る時にも 笑っておくれ また来る時にも 笑っておくれ 高校生の時よく山で歌ったな(笑) ---------------------------------------------------------------- 尾瀬の入り口戸倉温泉 「マルイ旅館」アットホームな雰囲気がお気に入り、尾瀬トレッキングの疲れも大浴場で癒せます。 旅館専用の体育館もあり夏合宿にも最適ですよ。 『あなたに、まだ、見せてない風景があります』嬬恋村インタープリター会 みんなの尾瀬を みんなで守り みんなで楽しむ 身近な自然の中で生きものを見つけ、その体験を通して生命の大切さに気づき、豊かな感性を育む・・・ 私たち「赤城姫を愛する集まり」は、この貴重なヒメギフチョウがいつまでも赤城山に舞い続けられる事を願う者の集まりです このブログのホームに戻る お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2011.03.04 05:54:30
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