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カテゴリ:文芸
5日から始まっているポンピドゥーセンターのダダ展に狸さん(うちの赤子1歳半)と一緒に行ってきた。
ダダ展に入る前に、子どもコーナーの展示もチェック。 複数作家による"Ombres et lumie00re - Reves d'Ombre"(光と影 影の夢)展。 タイトル通り、光と影をテーマにした展示で、狸さんは、鏡の前に柱が林立している作品が(柱の間を出たり入ったり歩けるので)面白かったようだ。 で、目的のダダ展。予想通り、巨大な展示だった。 特別展のスペースの広さは普段と同じなのだけれども、それを細かく区切ってこれでもかとぎっしり展示してあるのだ。とても一回で全部は見られない。 しかも赤子連れでは。 狸さんは割と機嫌が良かった。まず、入り口近辺にあったジャン・アルプが気に入ったようだ。また、ダダイストたちのマリオネット(操り人形)でも喜んだ。フロイトの人形なんかもあったけど、狸さんが気に入ったのは、鹿のマリオネット。指さして「わんわん。わんわん!」といってる。 ただ、抱っこ帯からうっかり下に降ろしたら展示スペースが小部屋に分けられているのを面白がって、スタスタ小走りを始めた。展示の量もすごいし、開催して初めての週末なので、人の数も半端ではない。私が一瞬でも作品に気を取られたりすれば、もう迷子確実。 危険なので日を改めて出直すことにした。 無理矢理、土曜日の今日来たのは、狸さんの託児所が週5日になってから、平日はかえって外出できなくなってしまった(保育時間が3時間と中途半端だし延長はできない)からなのだが、まあ一日託児所はお休みして狸さんと一緒にまた平日来ればよい。 カタログぐらいは買っていきたかったが大きいのであきらめてあとでamazon.frに注文することにした。 今回のカタログは電話帳に似せてつくられていて、紙質も電話帳のようだったので、ページ数のわりには軽かったものの、既に狸さん及び赤子用品バッグを抱えて歩いている私にはやっぱり重い。 電話帳とはいかにもダダ的。普段、ポンピドゥーセンターの特別展のカタログは、紙が私の嫌いな厚口パピエ・グラセでずっしり重いし手が切れそうでもう死ぬほどダサい(死語)、そのわりには(というか、おそらくはそういう紙を使うせいで?)値段は高いので、ただでさえもう蟻一匹収納する余裕のない我が家に買って帰るのには、 なかなか食指が動かなかった。だが、今回のダダ展のカタログは欲しい!欲しい!絶対欲しい! 狸さんに1冊は囓られたりしてダメにされそうだから、2冊欲しい。 一刻も早く欲しくて、さっそくamazon.frのサイトを検索したけれども、配送まで2~3週間かかると表示されていたので、やっぱり出直したときに直接買ってきたほうが早いかな…。 そのかわり、ピカビアの葉書を買った。 穴が開いていて、その脇にJeune fille(若い女)と書いてある意味深な葉書である。 中学生の時に買った、オノ・ヨーコの葉書(穴が開いていて、その脇に「A hole to see the sky through空を見るための穴」と書いてある)と一緒にしまいこむことにした。 L.H.O.O.Q.(*)と書いたTシャツが売られていて、それにもちょっと惹かれたが、日本ならともかく、フランスではこれはさすがに着て歩けない。あきらめた。 (*)デュシャンの作品で、モナリザに、ヒゲとL.H.O.O.Q.という文字列を書き加えた作品がある。 L.H.O.O.Q.はフランス語で続けて発音すると「エラショオキュ→Elle a chaud au cul→彼女は×××が熱い」という意味になる。このTシャツを着て私がパリを歩くのは、外人さんが「この女、発情中」と書いてある漢字Tシャツを東京で着て歩くのと変わりない。 このように「アルファベットを並べ、発音すれば意味のある文章になる」というのはフランスでは昔から、諷刺紙などの端っこでちょっとしたユーモアとして、あるいはダダイスト・シュルレアリストなどが文学的実験として行っていたものだが、現代では若者たちが携帯電話のメッセージで少ない入力文字数でコミュニケーションするためにごく普通に使っている。 だから、デュシャンの作品だという元ネタを知らないお兄ちゃんにだって「この女、発情中」と書いてあることだけは分かるわけで、このTシャツを着ていたら、とりあえず男性器がついてない人間であれば、年齢容姿人種国籍にかかわらず、見ず知らずのゴロツキさんたちに大もて(?)になってしまうのは間違いない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2005年10月09日 07時30分12秒
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