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カテゴリ:日常生活
リベラシオン紙の記事。
http://www.liberation.fr/page.php?Article=337921 リベラシオンは、フランス語が読みやすいため左翼インテリ層というよりはどちらかというと中間層の社会党支持者に購読者が多い新聞である。ついでに言うと、インクの質のせいなのか、読むと手が真っ黒になるのもリベラシオン紙の特徴。 そんなリベラシオン紙が、郊外の貧しい移民の中でも最貧層の悲惨な状況をレポート。 パンタン(今回暴動が起こったパリ郊外セーヌ・サン・ドニにある地区)の低所得者住宅の建物のゴミ置き場で寝る母子の話。 母子4人(母親アイシャタ・ドラメさん23歳・18ヶ月の赤ん坊・4歳の娘・3歳の息子)は、昼間は低所得者住宅の中にアパートを持つ友人宅ですごさせてもらうが、夜9時になると、子ども達を連れて12階のゴミ置き場に寝に行く。 4平方メートルほどの窓も換気もないスペースにマットレス・絨毯を引き、ダストシュートには枕や毛布をつめて就寝(18ヶ月の赤ん坊がダストシュートに落ちたりしないのかちょっと心配)。ゴミ置き場には建物の共有部分の管なども通っている(水道管だったら水の音がうるさいのではないかと想像)。アイシャタさんはここにテーブルを設置し、オムツなどを置いているが、もちろんいつ捨てられるかはわからない。「ここに置いてあるものは全て捨てます」と貼り紙がしてある。 ではこの家族は無職なのか、と思いきや、父親のマサンバ・ドラメさん44歳は清掃業の会社に勤務。夜はメトロで28駅を通過しながらパリを横切りパリ市内13区にある施設で寝に行く。朝は5時半の始発メトロでパンタンまで出勤。 朝8時、アイシャタさんは、ゴミ置き場を出て、子ども二人を幼稚園に送り、赤ん坊と一緒に低所得住宅に住居を持つ友人宅に転がり込んで日中をすごさせてもらう。友人宅も既に大家族であるが、電話、台所、トイレなどを使わせてくれる。 夫婦はアフリカのマリ出身。マサンバさんはイスラム聖職者の子だった。彼がフランスの労働許可証を手にしてからもうすぐ15年たつ。つまりマサンバさんは不法労働者でも不法滞在者でもないのである。アイシャータさんは警察官の娘だった。彼らは2000年にパリで結婚。当時は、アフリカ式「ブラザー」(同郷出身者は誰でもブラザーになってしまうらしい)が住んでいる低所得者住宅に住まわせて貰っていた。ブラザーは、マサンバさんがアイシャータさんを連れ込んだときも、一人目のこどもが生まれた時も、許容してくれた。2人目の子どもが生まれた時、マサンバさんは、低所得者住宅に住む申請を出した。 3人目の子どもが生まれると、ブラザーはついに「もう出て行ってくれ」と言い始めた。ブラザーにも嫁さんと子どもができたのである。 5月、マサンバさんはまた市役所に手紙を書いた。今回は市役所は返事をすぐくれた。しかし良い返事ではなかった。「ご同情申し上げるが、現在はご要請に答えられない」。なにしろ低所得者住宅は、空きは少ないのに、入居を待っている人たちが山のようにいるのだ。 6月、ブラザーはマサンバさんに「悪いがどうか9月までにアパルトマンを出て行ってくれ。打ちにも息子が生まれたしT3(3部屋?)のアパルトマンに8人での共同生活はもう無理だ。出て行ってくれなければ、追い出す。」と「手紙」をよこした。 マサンバさんはまた市役所に手紙を書いたが、返事はまたノンであった。 まもなく、ブラザーからの最後通告。9月末のことであった。 ある日、アイシャタさんが子どもを幼稚園から連れ帰ると、アパルトマンの扉は閉まっており、荷物が踊り場に出されていた。その日から、アイシャタさんと子ども達はその脇にあるゴミ置き場に寝ることとなった。 アイシャタさんは、ソーシャルワーカー、市役所、幼稚園の心理カウンセラーなどに相談してまわったが何の解決も得られなかった。8頁にわたる安ホテルのリストを手にして、パリの北部にある郊外各地を足を棒にして歩いて回ったが、大人数の家族を受け入れるホテルはたった一軒、一月1880ユーロ(約26万円)の宿泊費であった。ちなみにマサンバさんの給料は月1200ユーロ(法定最低賃金)、それに手当が月420ユーロ。ホテルはとても無理である。 低所得者住宅は、1年間につき100件の空きがあれば3600の申請が来る。つまり、一つのアパルトマンに、36家族が入りたがっているということだ。 ちなみに、この1家の収入(給料+手当)1620ユーロは22万円くらい。 フランスの不動産屋や家主は、借り手に対し、一般には「家賃の3倍くらいの定収入」を要求する。1620ユーロの1/3は540ユーロ。うまく探せば、いつ入れるかわからない低所得者住宅でなくても、最大で30平方メートルぐらいのワンルームを見つけられるのではないか。低所得者住宅よりは高いし、家族5人には狭いとはいえ、ゴミ置き場で寝るよりはましだろう。敷金三ヶ月分がなかなかたまらないのかもしれないが。 ただ、敷金や不動産屋に払う手数料が払えたとしたら、貸してくれるところは簡単に見つかるのだろうか。月1620ユーロの収入があれば、白いフランス人であれば普通はこの程度のアパルトマンはなんとか借りられる。ここでやはり、「マサンバさん家族のような人たちがフランス社会でどう見られているか」が絡んでくるのである。 30平方メートルのワンルームといったら、貸すほうは、学生か独身者に貸すことを考えている。なぜなら、狭いところに無理矢理大家族で住むようなタイプの店子(大抵はアフリカ人)は、更に「ブラザー」などを呼び寄せて無茶苦茶な状態にして住むかもしれないし、家賃踏み倒し率や居座り率もやっぱり高いからである。マサンバ&アイシャタさん夫婦の場合も、長い間「ブラザー」の家に住ませて貰っていたが、ついに追い出されるまでねばっている。他に行く場所がないのでねばらざるを得ないからだろうが、ねばられるほうも大変である。それに家賃が滞っても冬季に入ってしまえば人道上も法律上も追い出せなくなる(フランスには冬季の間は、たとえ家賃が払われていなくても住居から借家人を追い出してはいけないという法律がある)。 大家族のアフリカ人は危ない…は、偏見ではあるが残念ながらかなり根拠のある偏見でもあり、余計彼らのおかれている状況をますます厳しくしている。では「偏見を被るような生き方」をかえればいいのではないか、と思うかもしれないが、フランスでは、(例外もいるけど大雑把には)人種がそのまま社会階層・経済階層・職業階層になってしまって側面が大きく、それは個人の努力だけでそう簡単に抜け出せるものではない(抜け出した人もいるがやはりどちらかというと例外の部類に属するだろう)。建前では全ての人が平等なことになっているが、やっぱり貧乏で職が不安定なのは有色人種の移民層に多く、その中でもアフリカ人は最下位に位置しているのだ。 私たちのアパルトマンの隣にも、今はヨーロッパ系移民(イタリア?)が住んでいるが、その前はアフリカ人大家族が住んでおり、どうも親戚や友人も寝泊まりしているようで、一体何人住んでいるのかさっぱりわからなかった。何人かは仕事もしているようだった。階段では挨拶もするし、静かに住んでいるし、隣人としては別に不安や不満は感じなかったが、家主は大変だったらしい。なぜなら、彼らは7ヶ月分の家賃を踏み倒して夜逃げしたからだ。 フランスでは人種や国籍によって差別をすることが禁じられている。が、大家がこの禁止事項を逃れることは簡単である。本当の理由が「アフリカ人はいろいろ問題が多いから」であっても、「あなたはアフリカ人だからダメ」とさえ言わなければ問題はない。「悪いが他の人に決まった」で片づければすむことだ。たまに、うっかり書面などで差別の証拠を残してしまった不動産屋がニュースになることもあるが。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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