「自分の人生」
今日はある女性と話した。彼女はず~っと一緒に居た外国人のボーイフレンドと最近死に別れしたばかり。お葬式には私も行って、彼女の疲れた様子を見てとても気になっていた。でも別れ際に「やっと自分の人生を送れる。」と言った彼女を少しの時間ほっておいてあげるのが私の出来る心遣いの様な気がした。だって彼は最初に旦那の友達だったから、私達が会う時はいつも彼が居たから私は彼女に「彼を思い出させる人間」の一人。そして今日、きっと彼女が落ち着いた頃だろうと電話をして見た。始めは緊張していて、色々な事にお礼を言ってた彼女。でもそのうちに様々な事を話してくれて、つらかった事やそれでもなぜか彼とは離れられなかった理由を話してくれた。彼女はとても純粋な人。彼はとても人生に懐疑的だった人。彼の生前は彼にとっても彼女にとっても辛い事がたくさんあった。そんな彼が入院してからは病気のせいで何時にも増して気難しくなり、側に居る彼女も辛かったと言う。でも彼女は彼の苦しい死に様にも付き合った。そして最後を予期した日、彼女が彼に「誰か友達を呼ぼうか?」と聞くと彼が言ったという。「友達が誰も居なくても君が居てくれればいい」。以前は沢山いた友達の為に彼女をほったらかしにする事も多かった彼が人生の最後に一緒に居たい相手は彼女だった。そして彼が逝った後、言葉の通じない家族との日本での彼の宗派の教会での葬式の手配や高い闘病費用の清算。彼の部屋の片付けも結局彼女と彼女の友達でやる事になった。彼の家族に対しても、慣れない国で大変な事もあると理解しつつも、慣習の違いから来る疑問や不満、全ての事を彼女がやらなければいけなかった事で不安やストレスがあった事と思う。そして彼女は今「自分の為の自分の人生」を送ろうとしている。彼はきっとどこかで私を見ていてくれるから、と。私は今、どれだけ自分の為に生きているのかな。旦那が居なくなった時に自分の為の人生を生きようと前向きに心から思えるのには、時間はどれだけかかるのだろう。どれだけ泣いて、どれだけ眠れない夜を過ごすんだろう。子供達は生きる希望にはなるのだろうけど、彼の代りにはならないだろう。私はその時に強くなれるのか、それとも脆くなるのか・・・。彼女はきっと大丈夫だと思う。だって「これで守り神が出来たのかも」と言っていたもの。でも、その守り神に私からちょっとしたお願い。いつか彼女が素敵な男性に出会った時はヤキモチを焼かずに見守っていてあげて欲しいな。