人、少なっ
本日は講演会のウラカタ。穏やかな春の日本海を眺めながら列車に揺られて小樽について、あれやこれやとセッティングしたり何かして、先生もおみえになって、さて講演会の始まり始まり~…って。せっかく花崎先生のお話が聴けるというのに集まったのは身内込みで7名(定員は20名)。も っ た い ね ー !いきなり吹き飛ぶ「今日は3(サン)9(キュー)の日だから何事にも感謝を」気分。でもなー、私ももうちょっと何とか人を集める努力的なことをしないといけなかったのかなぁと反省は有り…でも参加者に渡す資料の不備はわたくしにはいかんともしがたいことであったり。事前に言ってくれれば、こっちには中央図書館という強い味方がいるんだから資料用意出来たのによ…会場入りする前に水天宮さんにおまいりして成功祈願したけど、正直大成功とは言いがたいなぁ…とにかくもっと広く浅くいろんな立場の人に花崎先生のお話を聴いてほしかった。私はそれなりに収穫あったけどね。特に、今まではいわゆる“アイヌ問題”には「アイヌ」と「倭人」という2種類の立場があるんだと思ってたけど、どうやら少なくとも「アイヌ」「道産子の倭人」「内地の倭人」という3種類、あるいはそれ以上の種類の人たちの問題らしいということがわかった。私が特殊なのかも知れないけど、やっぱり内地の人はアイヌに対する気持ちが軽いっていうのかしらね。内地の人でも完全にアイヌにはまって、いっぱい勉強して、コイツ本気で俺たちを愛そうとしてるのかという疑いのまなざしを向けられながらもアイヌたちの輪の中に入り込んで行くような人はまた違うんだけど、そうじゃない人にとっては興味とか、下手をすると好奇心の対象でしかないのかしら、みたいな。私は、人生の中で恐らく一番感受性の強い時期に「アイヌ文化の美しさ」と「アイヌに対して倭人が行なった仕打ちの歴史」という2つに出会って、美しさにのめりこむよりも先にアイヌモシリに倭人の裔として生まれてしまった宿命の重さから逃げ出してしまった。高校、短大と、学ぶ項目を自分の意思で選べる時にはことごとく「歴史」を避けてきた。まともに向き合うのが怖かったんだ。ある日(ToyToyに出会う数年前)、北見のハッカ記念館で、倭人入植者によってアイヌの女性が強〓されていたと知り、これは歴史から目をそむけていたらだめだ、と思った。「同じ倭人」の悪行ではなく、「同じ女性」としてこれは許せない、と思った。(ちなみにちゃばは個人的に〓姦は殺人より悪いことだと思っております)それでもまだ歴史に向き合うふんぎりがつかずにいたところにToyToy登場。あの優しくてちょっとおっかない、肝っ玉母ちゃんのようなトンコリの音色のバックボーンが知りたい、と音楽好き成分がうずきだし、あっけなくふんぎりバリケード突破。資料館めぐりを経て現在に至る、みたいな。多分、内地に生まれて北海道に憧れて(或いは仕方なく)来た人たちには、私のような経緯は「重い」「考えすぎ」と敬遠されるんだろうな、と感じた。今日はウラカタだから、後ろで黙ってたけど。本当は私だってヘヴィなこと言いたかったわけですよ。倭人の裔としてアイヌモシリに生を享けた時点で私たちは十字架をひとつ背負っているっていうことをね。アイヌモシリって何も北海道だけじゃないんですよ。内地に住んでるあなただって、アイヌ語地名に接してるんですよ。この間ToyToyが行った舞鶴や綾部だってそうだし、ネット検索でわかった中では例えば「志布志」だってアイヌ語(志布志湾 シブシ si-us,i 大きな湾/志布志、内之浦を訪ねてより引用)だってそうだし。十字架背負ってるのは道産子だけじゃないんです。内地の人にも、私みたいな「この土地に生まれてきたこと自体が業」みたいに自虐的にはならなくてもいいけど、先住民族の命の営み、穏やかな生活様式に目を向けて欲しいなと思う。上澄みだけを持ってきた「癒し」などではなく、おぞましい歴史に向き合った上で。私が、アイヌの昔話のフレーズで大好きなのが、「何を食べたいとも、何を欲しいとも思わずに暮らしている」というもの。日本政府とそれを妄信する者たちが「劣っている」と思いたがってきた人たちは、こんなにも「足るを知る」豊かな人たちだったということを、今の日本人は知るべきだと思うな。倭人も、同化政策に屈せざるを得なかったアイヌたちもね。帰りはすっかり夕闇の中。色々考えさせられて、有意義だけど正直疲れた。なんかものすごく長い荒野への一本道(しかも後戻り禁止)に踏み込んじゃったのかもしれない。