135714 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

Chesapeake's ワシントニアン日記

Chesapeake's ワシントニアン日記

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

Keyword Search

▼キーワード検索

Profile

Chesapeake

Chesapeake

Favorite Blog

★ハワイで暮らす日々… ジャスミンHAWAIIさん
スチュワーデス… Skyflyerさん
月明かり 星の瞬き 星の瞬きさん
ヴァカンス移住 ~ … aloha makaniさん
介護福祉士、E、PA日… 黄金アジさん
韓国deサバイバル気… カルボナーラゆうさん
愛しの7にゃんず ぎゃあこさん

Recent Posts

Freepage List

Comments

Jin&Jin@ おひさしぶりです その後、どのようにお過ごしですか~? …
Chesapeake@ Re:お久しぶりです♪(03/28) ♪ふぃんふぃん♪さんへ >正直、私も同じ…
♪ふぃんふぃん♪@ お久しぶりです♪ 正直、私も同じような状況です。ブログを…
Chesapeake@ Re:お疲れさまです♪(03/28) Jin&Jinさんへ >うんうん、そう言う時…
Jin&Jin@ お疲れさまです♪ うんうん、そう言う時期ってあると思いま…
Chesapeake@ Re:そうでしょうねーーー。(03/28) the boundaryさんへ >今までのチェサさ…
Chesapeake@ マイニマイニさんへ >お久しぶりです。 >頑張ってください…

Archives

2024年10月
2024年09月
2024年08月
2024年07月
2024年06月

Headline News

2005年01月26日
XML
テーマ:生き方上手(687)
カテゴリ:旅行
(Continued)

ゴラパニを後に惜し気に去った5日目。
トレッキング後半は殆んど下りだということもあり、なんだか消極的なメンバー。
さっさとこの旅行を終えて東京に帰れる、なんという気持は全然なかった。

自然の厳しさと壮大さ、小さな幸せの豊富さ、貧しいながらに精一杯生きているネパールの人々、そして家族と一緒に一つの目標を共にする、ということの素晴らしさを満喫していた。

【青春した妹】
旅行中一番ドジの多かった真ん中の妹アリー(当時中学2年)は、よく道ばたに落ちているミュールの糞を踏んづけたりしていた。この事でよくからかわれていたのだが、いつの間にか糞を踏んづける事を「青春する」という風に言い回すようになっていた。本当に何処をみて歩いているのか分からないくらい青春していた彼女だったのである。

彼女の青春はこれに定まらず、なんともっと凄いことをやってのけてくれたのである。その後に起こった事も母は今でも鮮やかに覚えている。

下り始めて最初か次の日だっただろうか。崖沿いのゴツゴツした道を一列になって全員気をつけて降りていく。ガイドのリンジも足下に気をつけて、と注意していた。慎重でありながらも会話しながら降りていくメンバー。

その緊張はしているが明るい空気を破ったのは「キャーッ!!」ともの凄い悲鳴。ギョっとして振り返ると私の後ろを歩いていたアリーが「居ない」。

一瞬誰もが凍り付いたように動かない。1メートルの幅もない道のすぐ横は岩だらけの崖。何故か私は冷静に端まで駆け寄り崖側を覗き込んだ。変な言い方かも知れないが、彼女がどこら辺まで「落ちた」かを見るためであったと思う。

アリーは10メートルもしない岩場に仰向けに転落していた。
彼女は恐怖で目を見開いて呆然として空を見ていたのが印象に残っている。

私はリュックを脱ぎ捨て、横でショックでボーっと突っ立っている家族とイトコを残し、岩から岩へ飛び、夢中でアリーの元まで降りた。
彼女の怪我の状態を調べるためでもあった。
こんな所へ救急車やヘリコプターがくる訳がない。重症だったらどう運ぶのか、などとかなり先のことを悩んでいたりしていた。

天のおぼし召しだったとしか言いようがない。彼女は強運にも自分で背負っていたリュックの上に直接落ちたのである。何処も折れている様子はなく、腰の辺りに鮮やかなアザができていた。あの高さから落ちて頭をうったら絶対に重症だっただろうし、打撲・骨折も当たり前だっただろう。

彼女が無事で殆んど無傷だということを確かめた直後、冷や汗とめまいに一瞬襲われた。
土壇場の馬鹿力を提供したアドレナリンが退いていったのだろう。

彼女にこんな所で死なれたらどうしようか、なんてマジで心配してしまったではないか。彼女も極度の緊張感が溶け、泣きはじめたのを私は抱き寄せた。
「ダメじゃない、心配かけて。もう2度と会えないかと思ったよ。こういう所はよそ見して歩いちゃだめだよ」
「うん 、ごめん」(嗚咽)
「立てる?」
「うん」(嗚咽)
「歩ける?」
「うん」(嗚咽)

私はアリーのリュックを崖の上まで持ち上げ、その後は彼女をゆっくり父の手が届くところまで歩かせた。父も「大丈夫か」と明るく声をかけたが、目が険しかったのが印象に残っている。母は末の妹を庇いながら真っ白な顔だった。

アリーの命の恩人のリュックはリンジがその後、山のように積んだ彼の荷物に足された。父、私、イトコのYと交代で彼女を見ながら下山を続けたのは言うまでもない。

家族全員相当にビビっていたらしく、しばらくギクシャクしていたのだが、私はイトコのYとギャグの飛ばし合いをはじめた。
「アリーも青春した中でこれが一番の青春だったね」ワハハハ! 。。。ハ

母から後で聞かされたのだが、私が一番こういう時に役に立つということは前から知っていたが、崖から飛び降りる行為は信じられない事だったらしい。

私がプレッシャーに強いのはピアノ演奏やコンクールで鍛えられていたからだろうか。
とにかく普段はポーッとしている私でも、肝心な時には能力を発揮するようである。

【チェサピーク、ついに失脚】
ネパール旅行の間、家族のメンバーそれぞれゲリ・嘔吐など色々マイルドな症状があったりした。私だけはなぜか食べ物・飲み物すべて平気でピンピンしており、ローカルの様になんでも気にせず食べていた。

ところが運命というものは残酷。
ずっと何事も無い、という訳にはいかなかったようである。

トレッキングが無事おわり、麓のポカラまでもどり、あの古風で上品なホテルに戻った。その夜の御馳走はチキンのカレーソースのようなグルメ料理に再会。

また大富豪のようなお食事を済ませ、その夜はマットレスのある豪華な寝室でいい気になって寝た。末の妹のリサはランプを点けてトレッキング中できなかった夜間読書に浸っていた。

翌朝、プロペラ機でまたカトマンドゥに戻る準備中、私は吐気に襲われ、ホテルのバスルームにこもった。何事か、と妹達や母が覗きにくる。

たぶんトレッキングが無事終り、気が緩み、食べ過ぎたか何かに当たったのだろう。死にたい位気持悪かったが、そんな体にムチうってプロペラ機に乗った。

プロペラ機は言うまでもなく非常に揺れるもので、乗っている間は嘔吐との戦いであった。悲しくも紙袋が私の旅のお供であった。

【ファミリー旅行振り返って】
最後に失脚した私だったが、カトマンドゥのホテルに戻り、半日昼寝をしたらケロっと治った。残り少ない日数は家族一斉で繰り出し、片っ端からセーター・コート・線香・シルバージュエリー・美しいヒンドゥーの絵巻などのお土産の買い物を楽しんだ。お年玉はくれないはずだった父も新年でめでたい気分になっていたのか、みんなに500ルピーをそれぞれ分け与えた。

家族みんな発熱、ゲリ、嘔吐などあったけど、一番思い出になったのはアリーが「青春」したことだね、などジョークの連続。そのときは笑えない状況だったのだけれど。まさか岩登りでもないのにアリーが崖から落ちるなんて誰も思っていなかっただろう。(全員寿命が10年くらい縮んだと思う)

ガイド兼ポーターのリンジやホテルのオーナーの息子さんとも仲よくなり、これからも手紙でやりとりする約束をし、お別れした。
ネパール語の「ナマステ」がハワイの「アロハ」と似ていることにも気づいていた。

行きと逆の航路を22時間隔て東京に戻る。
2週間後に帰ったホーム・スィート・ホームは何故かいつもより大きく感じられた。

お湯の出るシャワー、どっぷり浸かれるお風呂、ウォシュレットとビデ付の室内トイレ、床暖房、電気式ブランケット、セントラル・ヒーティング、冷蔵庫、ストーブ、ポット、炊飯器、電話、FAX、電気。。。書き出したらキリがない位、なんと私は今までこんな贅沢を当たり前だと思っていたのだろうか。すべてが新鮮で愛しかった。

パピイ、こんな貴重な体験をありがとう。
なんでも当たり前と思って生活していては根が腐ってしまい、器の小さい人間になっていたと思う。

この家族旅行はいつまでも忘れず、子供の子供に語り伝えるようになるだろう。
またお婆ちゃんのいつもの昔話が始まった、と笑われるように・・・。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

男のロマンとして書いた理由なのですが、父ほど自由きままに、
あるときは登山、あるときはトライアスロン、あるときはテレマークスキーに
繰り出す男性は稀だと思うのです。

それは家族というものがあり、危険な事は避ける、という理由も
あるのでしょうが、健康的・金銭的な問題にも及んだりします。
(ウチの場合、金銭的な問題では無いのですが、数年前のゴールデンウィークで、登山スキーの際、父は崖から250メートル転落し、行方不明になり、首の骨にヒビが入った、
という恐ろしい目にあったことがある。「驚かないで聞いてね」と母から電話が掛ってきて、ここからでは何も出来ない不安に駈られたのを覚えている。当時はニュースにも載ったみたい。)

母や時には私たち姉妹にヒンシュクをかいながら、父はつねに夢を追い掛けて
いるのです。それは時には迷惑だったり、時には眩しかったり。

大人になり、結婚し、家庭をもち、子供を産み、仕事を持ち、毎日の
雑用に左右されるようになってからは、★男のロマン★を貫く
父が私には羨ましくもあり、眩しいのです。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2005年01月29日 13時10分55秒
コメント(17) | コメントを書く
[旅行] カテゴリの最新記事



© Rakuten Group, Inc.
X