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カテゴリ:2-1・レッスン(幼児・初級)
私自身。
最初のはじめての音楽レッスンは、ヤマハのグループレッスンでした。 その後個人レッスンで、ピアノとエレクトーンを習っていました。 受験前はソルフェージュも習いに行っていました。 で、私は、もともと、 専門家になるつもりもなく、親もさせるつもりもない。 まあ、気楽に楽しい習いごとだったのですが、 私の小さい時、そのレッスンでは グループレッスンだったからもあるのですが、 音符について、習った記憶がないのです。 真似して弾いて、なんか曖昧にレッスンをしていたような気がします。 そこで、ある日気づいた。 私は、音符がまともに読めてない!! その部分は、習っている時は、読めようが読めまいが、 楽しければそれでよしでしたから、 気にもとめません。 気づいた時は愕然とし、苦労もした気がします。 さらに、苦手意識はもうインプットされていましたし。 その、私の残念な記憶から、 絶対私の生徒たちには苦手意識は持たせたくない。 そう思って、小さいうちから、読譜や基本事項は 結構ぬかりなく教えています。 これも・・・・ 現在の私の生徒たち。 移動してきた子は別にして。 私にしか習った事がなくて、すでに大人になっている生徒もいます。 その生徒たちを見て思うのですが・・・ いえ、反省も込めてです。 新講師初期、中期・・・と見ていて生徒の状況をみると・・ そのまま、小さい時のレッスンは引きずっているのです。 良くも悪くも。 <新任時代> 結構、読譜や基本事項をがっちりやらせた。 その当時の生徒の現在は、とにかく初見は得意。読譜は私以上だ~。 ほっとけば、確実に自力で解決している。 初見のパワーは圧巻です。 表現力にはやや乏しい感じもある。 <初期時代> 読譜に力を入れすぎて、ちょっと機械的感があるか、と、 模奏(真似して弾くこと)にも力を入れ出した頃。 新任当時の生徒に比べて、曖昧に弾く事も得意な子が多い。 初見力は、新任の子に比べたら落ちるな。 でも、ぱ~~っと弾く事が得意だから、それっぽく仕上げるのが得意。 当時の習い始めのレッスンに力を入れた事が、残っている気がしています。 その子の持っているものはあると思いますし、 その後の流れもあるのですが、 元々の力。 核の部分 違ってくる気がします。 私の生徒たちを見て思うのですが、 まんべんなく、ぬかりなく、基礎力はつけた方が絶対にいい。 弾くだけしかしなかったら、 これは、まずいでしょう。 もしも、 よくありがちな、弾くだけ。 その場しのぎで 真似して弾くだけをず~っと続けていたら、 その、先生よりは上手くはなれない。 その先生のまねだから、その先生がマックスなんですよね。 今日は、しみじみ。 私の新講師時代の生徒たちの成長を見て、 小さい頃のレッスンの大きさを感じています。 初期のレッスンの読譜も、聴音も、表現力も、想像力も。 教えただけ、その子の現在の力になっている。 ただ、 私が小さい時から教えている子。 この子には、この部分が足りてなかった。 この子には、これを確実に教えていてよかった。 そんな事が目につく。 そして、責任も感じました。 習いたての頃のレッスンはやっぱり大切です。 土台が決まっていれば、 どんな先生に習おうと、先生を変えようと、 きっと、どんな状況でもパワーアップできるはず。 ず~っと私にしか習っていない生徒たち。 あのとき、ああ教えてたからこうなってしまった。 ではなくて、 あの時ああ教えていてほんとによかった。 そう思いたいですからね。 生徒のためにも、そして、私のためにも。 大事に育ててあげなくては。 なんだかしみじみしました。 みつごの魂100まで これ、なんだかそのとおり。 ある程度出来上がったかな? のレッスンの前の、初期のレッスン。 その後の成長に大きな影響があるのです。 そう、感じた、今日のレッスンです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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