テーマ:介護・看護・喪失(5282)
カテゴリ:90歳
2008/07/20 domenica
一応ちゃんと洗礼を受けたクリスチャンの90歳。 一応というのは、動機とかきっかけとかが、昔気質のいわゆる敬虔な信仰者が聞いたら、 (メ-_-)かもしれないのだけれど、神様はお招きになるのに手段を選ばないというか、 どんな手をお使いになるか分からない、と言われるのだから、別にいいのです。 長く住んでた彼の地から、教会の籍をこちらに移したまま、連れてこなければ、 と思いながら未だに来ていないのですが、入院などするとたちまち焦るのが私。 とにかく最後は教会で送ってもらわなくてはならないのに、 神父様と1度も顔を合わせていないというのはまずいだろう。 勿論私の家に遊びに来て、私たちと一緒にミサに与ったことは何度かありますが、 今の神父様にはまだお目通りしてないのです。 とにかく突然「お葬式をお願いします」はまずいだろうから、 話だけでもしておこうと、先日来何回か、電話をしたのですが捕まりません。 やっと今日ミサの後でお話できました。 現在の状況と、これから話に出てくるかもしれない胃瘻のことなどについて。 やはり、こうして人に話すことで、自分の中のもやもやした物が、 少しずつ解消していくのを感じます。 特に、このような死と直面する場面に多く立ち会っている司祭に聴いて貰うことで、 一気に安堵感を得られたようにさえ思えたりするのです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008年08月19日 11時43分00秒
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