家族と生きるということ。
チッチは20代のとき、働きすぎでした。朝8時には会議が始まるし、9時からは営業同行が始まるので会社に入るのは朝7時。ランチもデスクでとって、進捗状況を確認しながら、個人情報を扱う仕事だったため、データの加工などシステム作業まで行い、帰りはいつも夜の22時以降。土日は休日でも、会社の携帯を持たされており、システム不具合、業務に何かあった場合など、どんどんメール、電話がかかってきて、時にトラブル発生で、土日は飛んで名古屋に缶詰…ということも。とにかく心の休まることのなかったベンチャー時代。精神状態もかなりキリキリしてユトリがなく、そして、体力的にも年中風邪を引きやすく、夏でも冬でも首にスカーフを巻き、そのうち、何の為に生きているのかわからなくなってしまい体調もボロボロになったのです。転職して落ち着いて数年たちます。今、思うことは「あれは私の人生ではなかった」ということ。チッチの人生にはチッチが望むように生きていけばいいのに、会社の歯車にまんまとのって、使われて一生懸命バタバタしていて。でもね。そんなことをいえるのは、チッチには養う家族が猫ちゃんだけだからかもしれない。家族を背負っている人はそんな余裕はないかもしれない。だからこそ、大黒柱は、健康を気遣わなければならない。だからこそ、家族は大黒柱をゆっくり休ませてあげなくてはならない。..........................................今朝、結婚したばかりの妹の旦那さんのお兄さん、つまり妹の義理兄が、亡くなりました。土曜日の夜、お風呂から出て、頭が痛い…と倒れて、この1週間、脳死状態だったのですが、ご家族の気持ちが少し落ち着いたそんな時、訃報がはいりました。くも膜下出血。まだ34歳です。先日の妹の結婚式には元気な姿だったのです。義姉(奥様)と微笑みあっていたのを思い出します。大変お忙しい仕事をしていて、そしてよく酒を飲み、タバコを吸う人でした。仕事しすぎの人は生活を改めてください。酒、タバコの多い人も、それは体へのストレスです。少し少なくしてください。そして、チッチは妹の義兄の脳死によって、学んだことがあります。一緒に人生を共に歩くパートナーが元気なのは当たり前でなく、奇跡なんだということ。その奇跡を「当たり前」と思ってはいけないということ。ヨシコさんの死は、1年前から予兆があり、ゆっくりゆっくりと魂を放していくように亡くなったし、順番が守られていて悲しみがあっても、納得もありました。これでいいのだ、と。それとは真逆の死。突然逝く人も辛いだろうけれど、突然、逝かれた家族は、一体どうすればいいのだろう。パートナーを失うことを想像すると、自分の抱いていた未来予想図はすべて壊れていきます。今ある幸せに気づかなければ。そして、今ある幸せが持続する努力を。そして、その努力は、互いを癒し、癒されることだと思います。チッチの夢は家族全員看取ってから死ぬことです。改めて、残された人たちのことを思い、チッチは絶対長生きしてみんなを看取ると心に誓いました。