984652 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

なんとなく、楽しく暮らそう

なんとなく、楽しく暮らそう

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

プロフィール

ちーこ♪3510

ちーこ♪3510

カレンダー

カテゴリ

2024.10.20
XML
3日目、帰宅する予定を延ばした。
予約した宿のために佐世保からまた南下してしまった。
長崎県西海市にある◯◯戸温泉◯◯チェーンのホテル。
実はもっと福岡に近い場所に泊まるつもりだったのに、夫が頭の中の地図を誤り、西海市がより佐賀に近いと思ったらしい。私は唐津あたりがどうかと提案していたが。
どちらにしても、収容人数のある宿なら、前日当日でも空室があると思っていたからOK!




夕方、宿に到着。
古いリゾートホテルを買い取ってリニューアルしたホテルだが、飲み放題が付いているのがメリット。



部屋も広め。大浴場は温泉。



ラウンジで、私の旅のミッションのソフトクリームを食べた。フリー。
夫作 


夕朝食はブュッフェ。飲み放題が嬉しい夫。
種類もテキトーにあり、美味しかった。


朝食をしっかり食べて、早めに出た。
ここでも、五島うどん、、
さらに五島うどんの麺も購入。
実は島原では島原素麺、長崎駅でちゃんぽん麺など、
名物乾麺を購入。
まさに私には嬉しい麺類の旅になった。



また、佐世保に戻り、立ち寄ったのは、

針尾送信所。

案内板より

重要文化財  1号無線塔

針尾送信所の1号無線塔は大正7(1918)年11月より難設が始まり、大正11(1922)年5月に3本の無線塔の中で最初に完成した。無線塔の大きさは図①のようになっている。

写真の資部にある1辺が18m三角形の種造場は、空中線受持造であるが、昭和50(1975)年に撮された。

当時、佐世保額等府では、>水コンクリートや修理落

保場(笠雑)、重油油種など日本最大のコンクリート構

造物の技術が蓄積された。無線塔の施工では、塩分の少ない川砂や砂利を布で拭いて使い、時間をかけた丁寧な施工が行われた。塔の表面は、建設後100年経ても枠の跡が鮮に見え、顕著な努化が見られない。高品質の鉄筋コンクリートの構造物として残されてきた貴重な構造物である。










無線塔が3本あり、中を公開しているのは3号塔。



国重要文化財 送電事務所 案内板より

竜化堂は送られてきた倍号を出分に美換して無線塔に送信するための機械装置を搭する鉄筋コンクリート

寛個室の内部構造のようなも次用の高周波発を機が設置されていたが、昭和17(1942)年頃までに撤去された。

電個室の正面

現在地は、この延の2階の床面の部分である。前に見えている点は2階のきてある。竜倍室の荷量程減と水の役又酵止のために、救した根の上の大量の土みで倍室の前面が2階まで埋まっている状態てある。



高さのある3本の塔、
良質のコンクリートとはいえ、大正時代のものが、
何の変化変質もせず現存。
当時の日本の技術の高さ!

案内板抜粋

日露戦争で無線通の重要性を認識した旧日本海軍は、1922(大正11)年に針尾送情所を建設しました。時の海軍は、鉄筋コンクリート建造物の研究を行っていた時期である。

鉄筋コンクリート技術は1890年代にフランスで発明され、わが国に導入されたのは1895(明治28)

コンクリート建造物の「実験と実践の場」として考えていたようです。その一環として針尾送信所が鉄筋コンクリートで建設されたとも考えられています。

建築物としては、1905(明治38)年に佐世保海軍工&第三船汽室及び附風賄所が初源です。

1997(平成9)年に海上保安庁の無線施設が更新されたことにより、その役目を終えました。

近代化遺産といえます。

針尾送信所が建設された1922(大正11)年頃、無線の主流は長液通備でしたが、長波による遠距離通信には高出力の電波と長大な無線アンテナを使用するため、巨大な設備が必要でした。

しかし、1935(昭和10)年頃になると、箱液通信が長波通信にとって代わり、長設道情は補助的に用いられるようになったため、長波送信施設の建設は行われていません。つまり、針尾送信所を始めとする長波送信施設は、1920(大正9)年前後のわずかな時期に建設されたものであり、電波技術史のなかでの記念碑的な建造物と評価されています。さらに、船橋、原町、依佐美の無線塔は既に撤去(佐美は送信機器と塔の一部が現存)されており、針尾送信所は無線塔、通信局舎ともに現存する国内最後の施設となりました。

また、イタリアのマルコーニが無線を発明した1895(明治28)年から、わずか27年後には日本において針尾送信所等の近代通信施設を極めて完成度の高い土木構造物として造り得たことは、

日本の近代化の象徴的な遺産と目されるものです。



海軍の街佐世保ならではの日本の歴史をいまだにこうして見られるとは。
やはり高齢者の地域ボランティアの方がいて、ガイドや施設管理、清掃をされていた。
寄付箱に少しばかり。



ここから、ずっと高速道路を走り、
福岡市内で博多ラーメンを昼食にして、帰宅した。






SAで食べたソフトクリームは、牛さんが作るオートメーション!





3泊4日、佐賀長崎のドライブ1200キロ!
ドライブ終了。
台風のせいで、沖縄離島の旅が急遽長崎方面に変わったけど、じゅうぶん実のあるお誕生日月ドライブ旅となったよ。
今年は、北海道、兵庫県、長崎県と、夫の運転で、よく走る。
帰路は、ガソリンが気になり、ガソリンスタンドの価格看板ばかり見ていた。笑
高速道路料金ETCの支払いか後日引き落としがあるだろう。飛行機を使わないからと言って、旅費が安くなったわけではなかった、、、、笑
むしろ飛行機は早割で、遠くに行くほど安い感覚があるから。

お土産記録
島原素麺 長崎ちゃんぽん 五島うどん
長崎カステラ かんころ餅 オタクサ(長崎銘菓)
辛子明太子(福岡)  博多通りもん(福岡) 
と、収穫あり!!





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2024.10.21 08:22:29
コメント(8) | コメントを書く



© Rakuten Group, Inc.
X