沖縄 伊江島その2(沖縄の旅2022年12月)
レンタサイクルの自転車は、全て格安自転車が揃えられていて、ハンドルもペダルも安全は不確かだが仕方ない。電動自転車は無し。「途中で自転車が壊れたら、次の自転車を持って行きますから」と言われた。で、夫が目指すのは、帽子のような伊江島のシンボルの山。地元では伊江島タッチューと呼ばれる城山。レンタサイクル屋でお店の人に、「ずっと坂道ですが、、」と言われたことを夫は聞かないふりをして、レンタサイクルにした以上、必死でペダルを踏んで進む。ボロい自転車と、急な坂道、、、私は乗ったり降りたりして30分はかかって上がる。スニーカーの中の外反母趾の右足が、坂道で靴がつま先を締めて痛くなった。夫は勝手にどんどん進んで、後ろをひとつも振り返らず。後ろの私と300メートルは離れて、足の痛さも加わってムカついてきた。途中で帰ることにもいかず、やっと着いた。自転車は中腹の広場に止めて、ここまで階段で上がってくるわけだが、階段だけでも10分かかる。もうここから先には上がりたくない。夫は、「ここまでタクシーで来て、帰りは徒歩が良かったなあ...,」という。はあ?城山付近にあったのは、戦禍の傷跡。公益質屋跡。(伊江村HPより)第2次世界大戦で日本軍は壊滅。住民を含めて推定3500人が犠牲となりました。米軍の攻撃を受けて村の建物はことごとく焼き払われ、かろうじて原形をとどめていたのがこの公益質屋の建物です。同施設は、1929年に政府の融資を受けて設立された村営の金融機関でありましたが、当時は世界大恐慌期で村財政や村民の生活も苦しかった時代であったため、高利貸の暴利に泣く貧民を救う福祉施設であった。同施設は、戦前のコンクリート建造物の研究でも注目されています時代は変わるが、やはり戦禍の傷跡を一掃してはいけないと思うのだ。特に伊江島、米軍が上陸し、島民が多く亡くなられた事実。城山を下りて、山の北側に自転車を走らせるが、とにかく畑しかない。景観が全く変わらず、なんとか海に出た。下り坂道は楽ちんかと言うと、ボロ自転車にブレーキをかけて下りるから、2台ともキーキーキー音が大きくて、すごく嫌だったよ。坂道がずーっとキーキーキーキー、、、ニャテイヤ洞(伊江村HPより)「力石」があり、子宝に恵まれない女性が持ち上げると願いがかなうという言い伝えがあります。また、戦争中は住民の防空壕として利用され、多くの人を収容した事から「千人洞(ガマ)」とも呼ばれています。防空壕として、多くの町民を助けたと言う。神聖で厳かな雰囲気がある。洞から眺める海は明るい。パワースポットというか、身体に振動や冷たい気が流れてくるみたい。あまり時間もないので、自転車をバリバリこいで、港へ。伊江島は伊江牛で有名。途中、牛舎から可愛い子牛が近づいてきた。港の近くに歴史資料館らしきものがあるが、紙を貼ってあるだけで、それも非常に古くて読みにくい。伊江島、レジャーで売るだけではダメだ。と感じた。自転車を返して、隣にある又吉かまぼこ店で、かまぼこを買い、フェリーで食べた。お昼すぎに本部港に戻った。伊江島、お天気がいいからよく見える。あー、疲れた、、、伊江島のお菓子、これは美味しい。