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テーマ:★☆沖縄☆★(2894)
カテゴリ:国内の旅
沖縄旅日記・その13(→今までのお話1、2)
識名園を離れ、国際通りに戻った私たち3人は、豊見城に向かうバスを探しましたが本数がありません。そこでタクシーを使いました。那覇市内からとても近いし、料金もそんなに高くはありません。向かった先は恒久平和祈念・旧海軍司令部壕でした。 豊見城の丘に立つ平和祈念塔、この地下には、昭和19年(1944年)日本海軍設営隊(山根部隊)によって掘られた防空壕があります。当時は450mあり、カマボコ型に掘り抜いた横穴をコンクリートと坑木で固め、米軍の艦砲射撃に持久戦に持ち込むための地下壕で、4000人の兵士が収容されていました。この兵士たちは、壕の中で戦死、自決をされました。 戦後しばらく放置されていましたが、遺骨収集の後昭和45年(1970年)3月観光開発事業団によって司令官室を中心に275m復元され平和を祈願し公開されました。2400人の方の遺骨が収容されたそうです。 館内に入ると、最初は併設の資料館が見学できます。沖縄戦での被害者の数字等が全て展示されています。また壕内で発見された遺品や写真などの展示があります。 そして、地下25メートル、105段の階段を下っていくと、縦横に張りめぐらされたトンネルに出ます。トンネル内にはいくつもの壕があり、それぞれの役割がありました。司令官室、医務室、発電室などがあります。 トンネル内の様子。 このトンネルは広くて歩きやすいのですが、中には暗くて狭いところもありました。この中で息を潜めるようにして、戦略を立てていたのですね…。 自決の痕の残る幕僚室。 司令官室と壁に書かれた文字。 『滅覆米醜』と書かれています。アメリカ人のジェシカとアマンダが、この字の意味を聞いてきました。う~ん、なんて説明すればいいのやら。でも、2人とも戦争にはとても感心のある子たちだし、過去の歴史のことなので、とりあえず文字通りに訳しました。すると、2人とも苦笑。 「醜いアメリカ人ねぇ…」 とつぶやいていました。 どこの国の人でも、戦争に関する資料を見ると無口でしんみりなってしまいます。今はどんな考えなのかわかりませんが、当時はブッシュ大統領支持派で、イラクへの攻撃は正当だと主張していたジェシカ、それとは正反対の考えのアマンダでも。平和を祈らずにはいられない場所でした。 つづく♪ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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